『魔法鏡』 #夏ピリカ応募

「よそ見してんじゃないよ、どこ見てんの! 鏡見ろ、鏡!」
 ダンススタジオの一室で、講師ミチコの激しい叱咤が、流れる音楽を突き破って響き渡る。
「どこができてないのか自分で確認する! なんとなくやってんなよ! 蛍、聞こえてんの!?」
「はいっ……!」
 蛍は上がった息を整えようと深呼吸をするが、思うように踊れない悔しさが呼吸をさらに掻き乱した。
 ミチコが部屋の東側の壁を眺めながらため息まじりに言う。
「お前は元々、灯哉に憧れてここに来たんでしょ。灯哉に認知されたいだけなら、ファンでいるほうが叶うんじゃないの」
「確かに、こんなに近くにいても生きてる世界線が違いますしね」
 蛍がダンスレッスンを受けているスタジオは、一般的なダンススタジオとは一風変わっていた。部屋の西側は壁一面鏡張りでよくある造りなのだが、東側に広がるのは透明な壁だ。
 その透明な壁の向こう側に、今テレビや雑誌に引っ張りだこのカリスマダンサー灯哉の姿があった。
 初めてこの壁を見た時の興奮は今でも覚えている。

「と、ととと灯哉がいる……! 待って目合った、手振ってもいいかな——」
 上げかけた蛍の右手を、鋭い声が制止した。
「無駄だ」
 振り返ると、引き締まった体の女性が腕を組んでこちらを睨んでいた。担当講師のミチコだ。
「その壁はこちらからは透明に見え向こう側が見えるが、向こう側から見るとただの鏡だ。灯哉の目にお前の姿は映らない」
 ミチコの言うことをにわかには信じられなかったが、どちらにしても灯哉の姿が自分の活力になると蛍は思った。憧れの人の練習姿を思う存分堪能できるし、逆に見られているかもと思えばモチベーションに繋がる。
 けれどその透明な壁は次第に蛍の心を蝕んでいった。
 蛍は灯哉の姿を認知できるのに、蛍がどれだけ必死に踊ろうとも灯哉の目には自分の姿が映らない。灯哉の世界に自分は存在すらしないのだと気付いた時、絶望を少し知った気がした。

「でも先生。私きっかけは灯哉さんへの憧れだったけど、今はもうダンスの楽しさを知っちゃったんです。だから今は自分が思うように体を操れないことが何より悔しい。この壁の向こうで華やかに踊る灯哉さんの姿を見ては目が眩む。あんなふうになりたいのになれない自分の輝きの無さが悔しいんです」
「なら、練習するしかないな」
 そう言ったミチコの口角は少し上がっていた。
「憧れしか見えていないうちは駄目だ。自分の踊る姿がはっきり見えるようになったら、その時きっとお前はちゃんと光ってる」

 それから数か月後、ミチコに言われたことが現実になった。
 蛍は西側の鏡で自分の動きを確認しながら音楽に乗り踊る。ステップを踏んで目線を落としたまま180度ターン。
 顔を上げた時、自分の楽しそうに踊る姿が映っていた。

「うん、いい笑顔じゃん」
「灯哉、マジックミラー勝手に使うのやめなさい」
「このコの輝きが強くなっただけっすよ」



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