絶滅危惧種なリスナーたちがCDレンタルにこだわるワケに感じ入った件
世界的には、日本でいまだに音楽CDのマーケットが残っていることを不思議がられているようです。
そんななかで、こんな記事が目に止まりました。
CD販売店以上にCDレンタル店が残っていることに驚きを隠せません。
私の住む横浜中心地から少し離れた街でも、JR駅前にあった某ゲオがダイソーに変わってすでに幾星霜。
家にはPCにCDを吸い込むための外付けドライブはあるものの、CDから直接音楽を鑑賞することはなくなってしまいました。
この記事によれば、いまだにCDを、しかもレンタルで利用するという根強いファンが少なからずいるというのです。
その理由について、記事の40代男性TSUTAYAヘビーユーザーはこう語っています。
経済的な理由としては、ボクもレンタルを利用してきた過去からすればうなづけるところもありますが、いま残っているヘビーユーザーは、ストリーミングサービスと比べて歌詞や解説のチェックに重点を置いているところが特徴と言えるでしょうか。
ボクも少なからずライナーノーツを書いてきましたが、確かに「聴きながら読んで楽しみを増幅してもらえるように」という想いで書いていたなあと、改めて思い出したりしています。
また、別の40代男性の「好きな時に好きなだけ聴ける状態だと、意外と聴かない」からわざわざ棚を前に選んだCDレンタルを利用するというという、サフスク時代の弊害を補填するような利点もあるのだということを気づかされました。
記事では、店舗でのCDレンタルが風前の灯火というような表現で扱っていたのですが、実はCDレンタル自体がなくなるわけではないというところも重要かもしれません。
CDレンタルはネットに移行してサービスを継続。
調べてみた範囲では、以下のサービスが拾えました。
ただし、注意したいことがありました。
書いていて思いだしたのですが、ボクも宅配レンタルが始まったころに映画のDVDの利用を検討したことがあったのですが、あまりにも評判が芳しくなく、それもあって映画はDVDのレンタルに固執しないようにしたという過去がありました。
評判の悪さは、いわゆるサブスクリプションサービスにあったのですが、希望のDVDを申し込んでいても人気のものはなかなか手配できず、結局は月に借りられる損益分岐を超えられないサービスだったということ。
CDのマーケットはシュリンクしているため、もしかすると利用者にとっては利用しやすい環境になっているかもしれませんが、ビジネスとしてみた場合に余剰在庫をなるべく生まない運営が求められるため、利用者の「待ち」があるほうが当然良いと考えることになるのではないでしょうか。
この記事ではCDという音楽メディアを「レンタル市場から見てもオワコン」という切り口でしか論じていませんが、音楽アーティストの物理的な作品としての可能性は残っているはずで、その一端がライナーノーツであったり、ジャケットのインテリア性だったりもするのではないかと思うわけです。
例えば、ライヴ会場でCDのジャケットだけを限定販売するというのもありだろうし、ファイルケースやアクリルプレートに並ぶアーティスト・アイデンティティの発露&収入源になりえるんじゃないかな、と。
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