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44年前の交通事故

豊玉北の交差点

44年前、1980年6月9日は梅雨入り。雨が激しく降ってました。いつものようにサンメリーでパン買って会社へ向かいます。目白通りの横断歩道、青信号を小走りで渡ってると、右脚に強い衝撃を感じました。

激突の瞬間

右折してきたトラックが激突してきたんだった!前のめりにどっ!と倒れ、次の瞬間、耐えられない痛みが。目の前はレモンイエローに発光し、吐き気がしました。何人かの「大丈夫ですか」の声が聞こえました。オレは「痛いよー痛いよー」って言うだけ。駆けつけた警官から最寄りの病院を聞いたドライバーは、俺を助手席に乗せ、その救急指定病院へ。「救急です!」


救急指定病院

まずレントゲン。大腿骨にひびはなく、他の関節も以上なしとのこと。このまま帰宅できることになりました。病院の公衆電話で会社に連絡入れたら、社長が自転車で駆けつけてくれました。この頃、動画マンで国保未加入だったので医療費はドライバーが全額負担。この事故がきっかけで、雨の日に会社行かなくなりました。

歩けないのでトラックでアパートに送ってもらいました。彼が言うには「千葉から仕事で来てて道に不慣れでした、ブレーキを踏んだが雨ですぐ停止しなかったんです、私の不注意、治療費や慰謝料など全額支払いするので示談にしてください」とのこと。示談交渉は後に社長がしてくれました。


アパートに帰宅

アパートに着いても痛みはおさまりません。ドライバーは連絡先を置いて千葉に帰って行きました。右足は動かせず、当分不自由な暮らしです。アパートのトイレは和式で右足を伸ばしたままウンコするのが辛かった。絵は描けるけど仕事はマトモにできず、『2001年宇宙の旅』のリバイバルは観に行けず、傘はボロボロ、銭湯にも行けず。ホントに骨に異常ないんか?痛くてたまらん!病院でもらった痛み止めと腫れ止めの薬を飲んで眠りました。

復帰

それにしても右腕が無事でよかった。当分は仕事を持ってきてもらってアパートで動画。『ヤマトよ永遠に』などやりながら。1週間後には会社に行けるようになったものの、加害者との示談をスッポかしてしまった。社長が代わりにまとめてくれてました。後で怒られたけど社長の武勇伝が1つ増えた。感謝してます。

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