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もがいてたら、人生が変わってた

今回は僕の人生が変わったよって話をします。

正確には、良い方に人生が変わったって言い切れるくらい、高校生の時とは変化したなっていうのに気づきました。

当時、「人生変わった 体験談」で検索して、わらにもすがる思いで記事を読みあさっていたのが懐かしいです。

何が変わったかって一言で言うのは難しくて、総合的に色々変化してるんですけど、強いて言うなら、

誰一人理解してくれる人がいないし、居場所もない、どこにいても辛いし、これから良くなる未来が見えないっていう状態から、

深い話ができる友達が何人もいるし、自分を本当に好きになってくれる人もいるし、居場所がある感じがするし、何もなくても幸せだなって思えるし、これから未来は明るいだろうなって思える状態になりました。

結論はこんな感じなのですが、もう少し詳しく知りたいなと思う方はお付き合いください。

元々はどうだったのか

家族とあんまり合わなかった

根本にある経験としては、家族と合わなかったなということです。

家族は、両親と1個下の弟がいる、4人家族です。実家は小さい村にあって、コミュニティも狭かったです。

父親はその村の出身だったのですが、母親はその村の外から来た人で、あんまり馴染めなかったみたいで、ほとんど家にいました。

父親は仕事に行っていて、話したり、接したりする機会が少なかったので、必然的に母親といる時間が長かったです。

母親はプログラマーをやっていて、かなり論理的に考える人です。母親からは、こうしないといけないとか、これやらなかったらやばいとか、当たり前にこれをやりなとかのメッセージが多かったです。楽しいとか嬉しいとかの正のフィードバックがなかったなと思います。

自分はかなり真面目なタイプで、学級委員長とか生徒会長とかやるような、The 優等生タイプだったので、言われたことをすごく背負い込んでいたように思います。

母親と話していても、ほとんど良い方向の話にならなかったのであんまり合わないなと思っていました。

弟は1個下で、小学校3年生くらいまでは遊んでいたような気がするのですが、何となく考えていることややりたいことが違っていて、話しても噛み合ってないなっていう思いを感じていたと思います。

当時家族に対して思っていたことで印象的だったのは

「家族がもし、火星人ですって言われても、何も驚かないな」

と思っていたことです。ちょっとわかりづらいので解説すると、自分が地球人であると仮定して、家族が自分とは違う生物、つまり火星人だと明かされても、そもそも会話があんまり噛み合ってないくらいだし、理解し合えてるとは思わないから、違う生物っていっていいくらいじゃね?っていう気持ちです。

こんな思いを持っていたら、実家って居心地良くないですよね。
一応家族の名誉のために言っておくと、これは僕の両親とか弟が悪いってよりかは、自分からはそう見えていたよって言うだけの話です。

小・中・高、どこにいても居心地のいい場所がなかった

小学校低学年くらいまでは、母親に博物館とか美術館によく連れて行ってもらっていました。
家には科学や数学がわかりやすいような本がたくさんあったし、そういう本をよく読んでいました。

でも、村の小学生とかはそういうことをするわけじゃないから、自然と興味のあるものとかが何となく違っていて、居心地の悪さを感じていたと思います。

小学校4年生から、いとこがやっていたバスケチームに入ってバスケをしていました。

小5くらいから辛くなっていって、辞めたいなって思ってたけど、辞めたらまた居心地の悪い家に戻るのかという気持ちになって、ただでさえ、ない居場所がなくなってしまう気がして怖かったです。

目の前の人に嫌われたら、自分はもっと受け入れてもらえないんじゃないかっていう恐怖が常にありました。

高校は県内の進学校に行きました。知り合いはほとんどいないし、自分が得意だった勉強もほとんど意味をなさなくなっていました。ずっとやっていたバスケも、自分より上手い人はたくさんいて、上手さとかで居場所を取れることももうなくなっていたと思います。

どう生きていっても辛くて、もがいていた

中学では彼女は2人できたのですが、どちらもそんなに話さなかったし、正直仲が深まったとはあまり言えませんでした。どっちも結局LINEで振られてそれ以降話さない、みたいな、すごく希薄な関係だったと感じました。

自分にちょっと歩み寄ってくれそうな人でさえ、こんなにも合わないのかという絶望があったのを覚えています。

高校では、本当にどう生きていったらいいのかわからなくて、休み時間とかは誰かと話すことはほとんどなく、ひたすら図書館にこもって本を読んだり、ネットの記事を見たりして考えたりしてました。

当時の日記にこんな言葉が書いてありました。これは高校1年生の時の12月4日の文章です。

何だろう。鬱っぽいのかなぁ。未来が何か見えてる気がしちゃって気分が下がる。

楽しくもないバスケで時間を削られ、苦でしかない宿題を寝る寸前までやり、起きたらまだ眠たい頭を起こして学校へ。着いたら時間まで勉強(宿題)をして、テストは良い点も取れない。自分のための時間がないから創造性のかけらもない。そして最後には適当にやるやつが勝つんだ。はあ。涙すら出ない。俺は小中何を学んだんだ?今は楽しいか?これから楽しくなっていくか?くそくらえ。
高校1年生のときの12月4日の日記から

高校1年生のときは本当に何の突破口もなくて、ただただ苦しいものを耐えてるだけの人でした。今は苦しいし、これから良くなる未来も見えないみたいな、すげぇ辛い状態だったよなって思います。

当時読んでいた本に「夜と霧」っていう本があるのですが、元気なときには絶対読まないだろうなっていうやつで、大変だったんだなって思います。


高校2年生の11月20日にはこんなことを書いています。

僕は空気が読めない。読むのが苦手だ。母にもそう言われる。実際にそうなのかもしれない。

僕は何かを話したり、誰かと接したりすると傷つくことが多い。直接じゃなく、自分で自分の心を傷つける。

人と話すのが嫌だ、合わせるのが嫌だ、そんなことも嫌と思う。意識ではなく無意識に身体全体がそう言っているように感じる。

なぜそんなに嫌がるのか自分でもわからない。わからないから辛い。だけど、そこからどうするかくらいしか希望はないように見えるよ。
高校2年生のときの11月20日の日記から

誰と話しても噛み合ってる気がしないから、話すときはいつもなんでこんなに話せないんだろうとか、自分はなんてダメなやつなんだとか、傷つけまくっていました。

当時聞いていた曲で、amazarashiさんの「穴を掘っている」という曲があるのですが、久しぶりに最近聴いたら、想像以上に暗くてびっくりしたのを覚えています。


結局はシンプルに「ともだち」がいなかった

今振り返ってみると、当時辛かったのは、マジでシンプルに「ともだち」がいなかったことが原因だと思います。頑張ってともだちを作ろうとしても、自然体でいてともだちを作ろうとしても、できませんでした。もちろん、少しはできたのですが、居場所となるには不十分すぎるほどでした。

動き始めたら変化が訪れた

一体こんな状況からどうやって良くなる可能性があるんだよと自分でも思うのですが、大学に入ってから少しずつ人生が変化していきました。

変化の兆し

大学に入学したときはちょうどコロナウイルスが流行り始めた時期で、学校の授業も5月から始まるというときでした。

知り合いが本当に誰もいない大学に入ったので、ここままだと友達以前に知り合いすらできないような状況です。

僕は、やったことなかったTwitterをはじめて、同じ学部の同級生と思われる人を探してDMを送ったりしてました。

学部全員で自己紹介しようみたいなZoomの会でも、その後の2次会、3次会もあんまり向いてないよなとか思いながら、居座り続けていました。

その後も勉強大変だから勉強会しようとか、Twitterで知り合った他の学部の人とかと話すとかして、少しずつ輪が広がっていきました。

サークルとか紹介されたら、結構顔を出してたので、軽音、学祭、バスケ、テニスなどなど色々なとこを見てきました。

そこで一人、この人の考えていることって結構自分と近いなって人に出会ってから、もしかしたら合う人っているのかも?っていう感触がつかめました。

例えば、高校のときに倫理をガチでやってたとかです笑。高校時代は僕ほど熱心にやっている人がいなかったので、シンパシーを感じましたね。

6月の頭から、大学の近くで一人暮らしを始めて、オンラインで知り合った人と遊ぶようになります。

2ヶ月くらい経った後に、自分がやりたいことって起業とかビジネスの方面じゃね?とか、大学生っぽいことをずっと思ってたので、そっちの方面に行けるように動いてました。

神奈川県の起業家育成プログラムに参加したり、名古屋発の起業家コミュニティみたいなのに出入りしたりしていました。

その頃には最初に出会った大学の人とはあんまり話さなくなってたので、どんどん人間関係が変わっていったなという気がします。

それでも、当時は5,6個くらいいろんなものを掛け持ちしてて、2週間ごとくらいにいろんな入れ替わりが発生してたので、てんやわんや状態でした。

一つの転機 〜学生団体との出会い〜

1年生の終わり頃、起業家育成プログラムのチームメンバーとはあまり上手くいってなくて、起業ってあんまり向いてないかも、もしやるとしても何か強みがないといけないなと思っていました。

その時、友達が主催している、大学の団体で長期インターンの感想を話す会があって参加しました。

そこで出会った人の繋がりで、自分が専門でやっているデータサイエンス分野に関して起業している人を紹介してもらいました。しかも、同じ学部の先輩で、新しく学生団体を立ち上げ直そうとしている時期でした。

運よくそこに入って、プログラミングやデータ分析を1から教えてもらって、めちゃめちゃ勉強しました。

その学生団体で、コンペティションに出て賞を取ったり、繋がりで大学の研究のアルバイトを紹介してもらったりしました。

実はこの後、人生が大きく変わったと気づいた瞬間の話に出てくる彼女と出会ったのもこの学生団体です。

2年生はひたすら、学生団体の活動、勉強、大学のアルバイト、彼女、っていう感じでしたね。

このころ考えていたこととしては、とにかく目の前のことをなんとか上手く行かせたいという一心でやっていました。

学生団体については半年を過ぎたあたりから、本格的に運営メンバーとして活動して代表になったり、バイトの方はやったことないことを勉強しながらなんとか食いついていったり、彼女との方は色々と試行錯誤しながら、どうやって関わっていけば良い関係になれるのかを考え続けたりしてましたね。

当時は本当に全力をずっとかけている感じで、めちゃくちゃ疲れてたなって思います。息つく暇もないくらいやっていて、それでもやりたいこと、達成したいことはたくさん出てきて、大変なんですけどやりがいあるなって感じてました。

大学2年の終わりくらいの年末にこんなこと書いてます。

実りの多い一年だった。

去年と比較すると多くの人に注目される度合いとか、やってることの種類とかは減ったけど
自分の人生の資産になるようなものが圧倒的に増えたし、より成長できたと思う。
去年より、獲得したものも多いし、撒いた種も多いと思う。 人生って楽しいんだって思えた。
なんか、今年で人生が一旦終わったような感じがしてる。これは一度目の人生が終了したってことでもいいし、第一章って感じでもいいのかなって思ってる
てか、一年を通してまじでよかったって思えてる年って俺の人生史上初めてな気がするんだよね
だから、いい年だなって思ったり、今めっちゃいい人生歩んでるなって思うのがいいことかどうかわからんのよね。だからと言ってよくないなって思うのがいいってことはないだろうから、今、楽しいとか、充実してるって思えるのはいいような気がする
大学2年のときの年末に書いてたやつ

このときも十分に変化してるなっていう感覚はあったんですけど、まだどこか不安というかこのまま続くんだろうかとか、やり方はあってんのかとか思っててぼんやりしていました。流石に「人生変わりました」っていうタイトルで記事を出すとしたら、少々物足りないような感覚でした。

正直ここまでで、だいぶお腹いっぱいだと思いますが、まだまだ変化していきます。

もう一つの転機 〜自分を追い込み過ぎて、うつ〜

人生が良い方向に変化したっていうのになんで!?と思うかもしれませんが、絶賛うつ状態になりました。とはいっても、単位の少ない授業をギリこなせるぐらいだったので、まだ軽かったらしいですけど。
メンタルヘルスにいっても、どっちかっていうとうつっぽいよね、くらいの状態でした。

3年生が始まってからも2年生のときと同じように続けていたんですけど、少しずつ頭が働かないような気がしてきて、無理が効かなくなっているなっていうのを感じていました。

5月のゴールデンウィークのときに、本当に何に対しても興味が湧かなくなって、ずーっとぼーっとして過ごしているということもありました。

この時には、できることは増えているし、新しいことに挑戦したいという気持ちはあるのに、続けていることはやめられない、やめたくないし、やっていることの質もちょっとずつ落ちてきてる気がするし、どうしようっていう状況でした。

目標とかが上がっていく分、できていない自分とのギャップが広がっていって、もっと頑張んなきゃ、できてない、もっと頑張んなきゃっていうスパイラルに入っていきました。

そんな状態で体や頭が休まるはずもなく、どんどん体調は悪くなっていきました。

そんな感じでズルズル、自分をダマしダマしで生きていたところ、変化が起きます。10月あたりに、抱えていた課題がうまく行かなくて、それが頭の中をぐるぐる回って、









        眠れなくなりました。










やらなきゃ、やりたい、でも思いつかない、課題が終わらない、どうしよ、やらなきゃ、やりたい、でも思うように進まない、課題が終わらない、どうしよ、…

というスパイラルにはまって、全く抜け出せないまま一夜を明かしたとき、このまま行ったら死んでしまう、ってことがありありとわかりました。

世の中で自殺する人とかいるけど、このときは自分の延長線上にその未来が見えた気がしたのでやべえなって思いました。

責任感も強いので、自分で言ったことはやり切らないと、不完全のままやめたくないって思いもあってやばかったです。

ですけど、死んでしまったらもう全部終わるんだから、もう嫌われるのを覚悟で、色々と進んでいるものをストップさせました。友達にも相談して、打ち明けて、どうにもならないけど、どうにかしようと思って休みました。

それでも謎の意地が残っているから、バイトは続けるし、授業も出続けてましたけど、もう虫の息って感じでした。

いくら休んでも精神的には回復しないけど、辛いし苦しい時間をずっとそのまま過ごすとか、YouTubeとかみながらその場ではちょっと笑ったりとか繰り返してました。

彼女とかにも相談しましたが、相談して聞いてもらったからといってもすぐに良くなるわけじゃないので、どう接したら良いのか、自分が悪かったのかと思わせてしまうのもとても辛かったです。

自分は周りを笑顔にさせる人になりたいのに、助けてもらうしかないし、助けてもらっても元気になるわけじゃないからただただ生きてるし、何にもあげられてないってことが本当にきつかったです。

てか今もまだ、回復途中なので全然そういう意味では解決できてはいないんですけどね。

回復のきっかけ

実は、このころに出会ったのが、プロ奢です。僕がうつ状態から少しずつ回復することができているのは完全にプロ奢のおかげだと思います。

この記事が一番刺さりました。

それまでの人生ではいつも、頑張らなきゃとかもっとこれやらなきゃみたいなことが渦巻いていました。そうやってどんどん自分を追い込んでいました。

だけど、あきらめるっていう選択肢もあるんだと思ってなんだか楽になりました。めっちゃ勉強して、成績上げたりとか賞を取ったりしないととか、もっと上手くやったりしないととか思ってましたけど、一旦もうあきらめました。

もう健康に生きてるだけでいいじゃんって。ご飯美味しいとかもうそれくらいで十分じゃねって思いました。それすらも感じられないようなくらいがんじがらめに自分を縛っても、あんま楽しくないし、自分で自分を潰しちゃうよなって思ってます。

プロ奢の記事を読み続けて1ヶ月くらい経った後、三つ星スラムという読書サークルがあることを知って入りました。

三つ星スラムに入って、くらがりチャレンジやら、贈与やら、を繰り返したり、同じようなうつ状態にいるような人が健康になっているような記事とかを読んだりして、耐性をつけていったのも大きいなと思います。

人生は変わってた

ここでようやく本題の人生が変わっていたことに気づいた話をしようと思います。

きっかけは彼女の言葉でした。

「もし、けんたが私のことを嫌いになっても、私はけんたのことが好きだし、ファンだよ」
「もし誰かがけんたのことを嫌いだとか魅力がないとか言っても、私はけんたのことを魅力に思ってるよ」
「けんたと出会って運が良かった」

他にもいっぱいあるんですが、こういう言葉を伝えてくれました。
言葉やそれに至るまでの雰囲気、全ての節々から、愛されているってことが伝わってきました。これまで付き合ってきた1年半くらいのいろんなことの伏線回収をしながら、これでもかってくらい一つ一つの言葉に威力がありました。別にその日は記念日でも、誕生日でもない日なのに、すごいサプライズです。

このときに思わず、自分ってちゃんと愛されているんだな、自分ってここにいていいんだな、居心地いいなって感じたんです。その感情があることに気づくことができました。もし、その言葉が嘘でも、何か騙そうとして言っていることでも、それでもプラスがあったんじゃないかってくらい、心が満たされた感じがしました。

家族と合わなかった、「ともだち」がいなかったとき、感じていたことは、自分を理解してくれる人なんていない、仲良くなれる人なんていない、自分が居心地が良いと思える場所なんてないっていう気持ちが当たり前でした。

だけど、今は居心地が良いと思える場所が存在するということが証明された世界に住んでいます。もともとそういう世界だったのかもしれないし、認知の歪みなのかもしれないけど、それでも、自分から見たらそう思えるということがかけがえなく幸せだなって思います。

愛ってこういうことなんだな。幸せってこういうことなんだなっていう定義が自分の中で一個確立されたような感覚があります。

また、自分の状況を見回してみると、彼女だけでなく、なんだかんだ色々支援してくれる家族や、話を聞いてくれる友達、学校のゼミの仲間、三つ星スラムの人たち、インターン先の人など、支えてくれた人ってたくさんいたなって思いました。

今ならはっきり言えますね。人生変わったよって。
辛くて希望も見えなかった、あの時の自分に言いたいです。人生って良い方にちゃんと変化してるよって。
変わりたいと思って、ちゃんと変われてよかった。


終わりに

長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

今回は僕の視点からみた人生の変化を楽しんでいただけたら幸いです。
自分なりに振り返ってみて、何が良かったのか、何が悪かったのかとか、どういう戦略で生きてきたのか、またこれからはどういう戦略で生きていくのか、色々と考えてあるので、そういった、人生の裏側的な記事も書けたらいいなって思ってます。


もし、何か感じたこと、気になることなどあれば、コメントいただけると嬉しいです!ぜひお話ししましょう!

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