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リスクマネジメントと情報 その2:戦略と情報

情報の取り扱いが適切でなかったがゆえに命取りになった事例を、リスクマネジメントの極致である戦争の歴史から見てみましょう。今回取り上げるのは、太平洋戦争の大きな転換点となった「ミッドウェー海戦」です。なお、史実等については、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)」から引用しています。「失敗の本質」は、太平洋戦争における旧日本軍の問題を組織論的に分析した名著で、現在でも日本型組織の問題を考えるための良い教材です。私も学生の頃、著者のうち何人かの先生の教えを受けることができました。

ミッドウェー海戦とは、1942年(昭和17年)6月、太平洋中部のミッドウェー島付近において戦われた、日本海軍とアメリカ海軍の間の海戦です。両軍とも主力機動艦隊(空母を中心とし、艦船と航空機部隊で編成された海上部隊)を動員して戦い、結果は日本海軍が空母4隻を喪失する敗北を喫することとなりました。ミッドウェー海戦以降、太平洋地域ではアメリカが優勢となり、以後日本に対し圧倒的な軍事力を発揮していくことになります。

ミッドウェー海戦を日本海軍の失敗と評すれば、その背景には「戦略目的の不統一」があったといわれています。ミッドウェー諸島に出撃していた連合艦隊空母群の当初の目的は、ミッドウェー島を攻撃、そこを泊地とするアメリカ海軍空母艦隊をおびき出し、それを海上戦闘で撃滅するというものでした。よって、当初日本海軍の空母艦載機は爆装(地上の目標を破壊する爆弾の装着)されていました。ところが、空母艦載機による航空偵察により、敵空母艦隊の情報がもたらされると、それを攻撃するために雷装(艦船を攻撃するための魚雷の装着)するための兵装転換(搭載する武器を変更すること)が指示され、武器の積み替えに多くの時間を要しました。交換作業中の空母甲板上は、取り外された爆弾や機材が散乱した状態だったといわれています。そこに運悪くアメリカ軍の攻撃機が来襲し、日本海軍の空母に攻撃を与えました。その結果、攻撃を受けた空母では、艦内や艦上で誘爆が引き起こされ、日本海軍は空母4隻を喪失するという極めて大きな損害を被ることになりました。

結果論だという批判や、戦術論的分析による別の評価もあるでしょうが、敵艦隊発見の報を受け、時間的余裕がない状況の中、戦略目標を直前変更したことが敗因の一つであると考えられます。爆装した航空機を発進させ、艦隊を護衛戦闘機で護衛すれば、当時の日米の航空戦闘能力を考えると、これほどの被害を受けることはなかったでしょう。あるいは、敵艦隊との直接戦闘の機会を仕切り直すという選択もあったかもしれません。戦闘を避けることを「臆病」と評するような文化的背景が、それを許さなかったのかもしれません。しかし、戦略目標達成のためにその情報に対応すべきかどうかを判断するには、クライシスの場であっても、戦略を踏まえて情報を適切に評価するプロセスを常に働かせなければなりません。ミッドウェー海戦は、組織が情報に振り回されて負けた「情報敗戦」の一例であったといえるでしょう。

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