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危機管理の要諦 その3

危機管理3つの要諦の最後は、危機から何を守り、そのために何を切るかを適切に設定することです。これまでに述べた要諦を踏まえた対応も、この最後の要諦を間違えると、その効果を失うどころか、さらに事態を悪化させてしまいます。

全ての危機管理に共通するのは、そのスタートからすでに何かを失っているということです。前回の例を取り上げると、交通事故が発生した時点で、少なくとも事故を起こした社員の健康と、使用可能状態の社用車が失われています。また、事故対応により、他の社員が本来の業務に使えていた時間も失われています。今後は、取引先への対応、マスコミ対応、社員管理の実態調査など、本来の業務ではないことに会社の資源がどんどん使われていきます。

ここで、「すべてを守れるんじゃないか」と考えるのは誤りです。危機が発生したときにはすでに何かが失われているのですから、危機発生以前の状態に戻ることはほぼ不可能です。危機管理の究極の目的は、危機に対応して組織や個人の生存を図ることですから、「何を残し、何を捨てるか」という非情な選択が迫られるわけです。一つの選択基準は、組織や個人が生存し続けることができた後にも持ち続けたい資産や価値でしょう。そのために捨てるべきものは、現在組織や個人の存続を妨げているものや、今後の存続の妨げになるようなものでしょう。

先般の日大アメフト事件では、守るべきものは日大に対する学生、職員、世間の信頼でした。そして、そのために捨てなければならなかったのは、勝利第一主義の行きすぎた指導、機能不全の学内ガバナンスなどでしょう。さらにあるのかもしれませんが、本稿ではここまでの言及に留めておきます。これまでの日大側の対応に批判が集まっているのは、この両者が逆になっているのではないかという疑念を世間が感じているからです。その結果、一般的な常識では考えられないような対応が続いていると考えられます。

危機というのは、見方を変えると、組織や個人がこれまで存続し続けた中で蓄積した不合理や問題の発露ということもできます。ピンチはチャンスという言葉もありますが、適切な危機管理により、そうした問題を一掃し、外部環境に応じて最大のパフォーマンスを発揮できるように生まれ変わることもできるはずです。

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