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ゴジラの夏 その1

今年も甲子園に向けて暑い夏が始まりました。毎年いくつものドラマが繰り広げられる夏の甲子園ですが、その中でも群を抜いて記憶にとどまるのが、元巨人、元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手の5打席連続敬遠ではないでしょうか。
私はあの当時21歳。帰省中に家族と試合を見ながら激論になったことを今でも覚えています。この試合は、リスクマネジメントのいいケース教材でもあります。書くべきことが多いので、何回かに分けてお伝えしたいと思います(これだけでも一冊の本が書けそう)。

1992年8月16日、松井選手が属する石川県代表の星稜高校と、高知県代表の明徳義塾高校の一戦で、当時主将で四番打者だった松井選手が、5打席連続四球で一度もバットを振ることなく、星稜高校が敗退した試合です。
この試合では、松井選手と勝負しない明徳義塾高校を批判する、高校野球とは思えないヤジやブーイングが飛び交い、球場の中にはメガホンが投げ込まれるなど、球場全体が非常に騒然となりました。
この余波は試合後も続き、明徳義塾高校に脅迫電話が寄せられるなど、一種の社会問題にまで発展しました。今でもその当時の様子が動画サイトに掲載されているようです。

当時、明徳義塾高校野球部の馬淵監督は、松井選手の練習を偵察し、その高校生離れした実力から、試合当日は松井選手を敬遠する戦術をとる腹をくくったとされています。
敬遠の方法も、捕手が立って捕球するのではなく、投球コースをストライクゾーンから外すようなものにするなど、非常に巧妙なものでした。さすがにあからさまな敬遠は問題ありと判断されたのでしょう。結果、松井選手は、その試合で本来の打力を発揮することはありませんでした。

リスクマネジメントの視点で分析すると、明徳義塾にとって星稜高校との対戦は、明らかに大きな敗戦リスクを負うシチュエーションでした。一つの負けで夏のシーズンが終わる高校野球では、一勝ずつを最後まで続けたチームだけが優勝の栄冠を獲得できます。地方大会を勝ち進み、甲子園に出場するチーム全てが、「負けてはならない」というプレッシャーに常に晒されています。そのような環境では、最大の戦略目的は「勝ち残ること」です。

一方、高校野球は教育の一部であり、高校生らしいフェアープレーが期待されています。つまり、「野球を通じて高校生としての人格を養成する」ことも、高校野球の戦略目的の一つでしょう。出場チームの指導者もそのことはよく理解しているはずです。

しかし、これらの戦略目標はいつも両立できるわけではありません。出場校の実力のばらつきが大きい全国大会では、有力選手が集まる強豪校と互角に戦うには、戦術面での工夫が必要になります。それが明徳義塾高校にとって、安打を打たれる確率が最も高い松井選手をあえて勝負から外すことでした。

高校野球をビジネスに見立てると、これら二つの目的は、達成主体が微妙に異なります。「勝利する」という目的達成の主体は各チームです。
しかし「人格育成」という目標達成の主体は、各チームもそうですが、むしろ主催者である高野連だといえるでしょう。
各チームにしてみれば、「勝利」と「人格育成」のどちらが重要かといえば、前者を重視するのは当然です。だからこそあのような戦術が実行されたのです。その結果、明徳義塾高校は「星稜高校に負ける」というリスクが現実化することを防げました。

「戦略が異なれば戦術も異なる」というのは、あまりにも当たり前のことですが、異なる戦略目的が並存する経営環境でどちらを優先するか、あるいは二つの目的達成にどのように優先度合いを配分するかは、経営判断です。
以前「リスクマネジメントは戦略そのものだ」と申し上げましたが、それが現実化したのがこの試合だったといえるでしょう。

次回は、ステークホルダーとの関係から、このケースを考えてみます。

(写真引用元:産経新聞社web)

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