地球の裏側まで、貴方に隠したい秘密を置きに旅立つ。

私、小学生の時にバトルロワイヤルや完全自殺マニュアルが流行ってなんだか世界は殺伐としてるんだなぁ~とか思いながらネットの海で「墓標」となったサイトに時々アクセスして過ごし、オタクになるうちにネットの海にただよう腐や夢といった文化に造詣深くなり、ネット過渡期やら黎明期やらの鉄板の上に身を置いて火傷もしながらそれでも色んな名前と顔を使い分けてSNSするなりただゲームするなりはたまたサイトを立ち上げてタグ編集に凝ったりゲフンゲフン、とにかく、それなりに旬を楽しんでネットingしてきた民と自負してるんですけども。

ひょんなところから高校生の時のブログの一つが旦那にばれたらしくてですね…
あの止めてください吐血しちゃう。。。
流石に「そういうのやってた」て申告するのはいいけども現物みられるのはチョット。。。

しかしまぁモノ申したいことがあるからわざわざ心にクリティカルヒットのダメージ入って匍匐前進状態なのに自分からここで書いちゃうんですけど。
Mじゃないです。

ブログの文章がゆるふわ(笑)みたいなこと言われたんで一つ言っときたいんですよね。
あのな当たり前だろ今はともかくあの時代において「女子高生です」とわざわざ性別を強調して書き出す文章が存在するブログってのは「不定形で定まらないものである恋を楽しみ苦しみ等身大に過ごす少女たち」と交流して甘酸っぱさの刃を交えて渡り合うための剣だぞ。
ブログは創作物。主人公は読者の共感を得られるキャラ付けをするもんだ。そういう文章書くわそりゃ。語り部に独自言語を使われたら読者はお手上げだろ、何だってんだ日本語で書け!だよ。
そこまで行かなくたって自分から遠いと感情移入できないだろ。つまり近いほうがいいんだよ。
女子高生は武装だよ。
戦場へ行くには最低限、なにはなくとも武器がひとつは必要なんだよ。
ブログ全盛期の話であって今はそういう戦い方じゃないかもしれないけども。
確かなものなんてない in this little world. って感じの恋愛模様を「だから私は私が感じていることを残しておかなきゃ!こんな気持ちはいつか消えてしまう!」って喪失に喘いで泣きながら書き殴ってんだよ戦ってんだよ。
ペンは剣より強くて己も切り殺してしまうのに、戦わず手を汚さず日常に戻ることはどうしてもできなかったから血で恋文したためるしかない悲しさが貴方に分かるのか。
同じように戦う者たちの瞳に映る自分でしか己の姿を認められない。剣を取らないなら死んでいくしかない。誰を傷つけてでも「己の恋心」を殺すことのできない奴から剣を振るうようになる。
知覚してしまえば存在して、もう無かったことに出来ないから感情は恐ろしいのさ!
糸車なんて知らなければ指に針も刺さらないのに、高いところがお好きだからって塔があれば登っちゃって一番上の部屋に隠された糸車に触れてしまうから人間は業が深いのさ!
知らなければこんな重い鉄の塊持たずに身軽でいられたのに後の祭り、踊るんだよ靴はとっくに誰かの血で真っ赤なんだからな!
恋愛は戦場だよ、覚えておけ坊や。

どういう文章形態でブログを飾るかっていうので示すものは、同じようなブログ運営者からコメントもらったり返したりして「そういう文化圏で活動してます」って読者に分かりやすくする証だった。
ギャル文字とか隆盛で顔文字がやっと世間的に認知されて携帯の進化によって絵文字なんて分かりやすい記号が生まれ始めて数年ってとこだぞあの頃。
その文字の使い分けで自分がどこに居てどこを相手取ってるか分かりやすくしてすみ分けてた時代の話だよこれは。
発信している以上ブログはエンターテイメントだぞ。相手に届く文章書かずして何が文書きなんだ。同じように悩む人たちが行き交う戦場で我こそは女子だー!って最初に名乗りを上げることは「そうか今日の所属は女子軍か、さすらいの身は時々どこに雇われて戦ってんだか忘れるなぁ」みたいな自分に確認する作業であり相手に「あれは誰だ!?敵か!?味方か!?女子か!!」ってお知らせするもんでもある。
立ち位置を明確にして楽しく鎬を削ろうね!だよ。

当時を思い出しながら書いたらちょっとだけ再現できた気がするけどこれは精神がその頃から成長していないってことなんでしょうかどうなんでしょうか悲しい。
今から思えばもう白黒テレビぐらい遠い昔の文化って感じするのがネットの移り変わりの凄いところだと思う。

痛くないのと聞かれることもあるけれど「痛いよこんなんアイタタタだよ両方の意味でな!!」

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