私の好きなことを呟いた

ところで私はあなたにはなれないんですよって分かってる。

時々ブログを書きたくなる気持ちって分かりますか、とこないだ知人から聞かれました。
分かる、分かるよー。と返事をしたがそれ以上深くは聞かなかったので、私とあなたの「ブログを書きたい気持ち」の意味とか理由とかは擦り合わされていないままなんだけど、その方がいいかなと思って返事だけをした。
同じ意味じゃないだろうに共通するもの、があったらきっと美しいと思ったから。
言葉とは愛おしいものです。
どれだけ近くに居ても、同じ言葉に同じ意味を含めて使っているとは限らない。
同じ綿を私がちぎってアルコールにひたして瓶詰めにしていても、貴方は首を絞めに持っていくかもしれないこの危うい奇跡が面白おかしくて大変宜しい。

私にとってのブログの書きたさとは、ネット上の自分が活動する時間の確保と記録ということになるのかもしれない。
私の中には「ネットをふらふらと闊歩してパンのちぎり屑落として歩いていきたい」やつとかが居るんでしょうきっと。
こういう文章はきっと、そういうヘンゼルかグレーテルな私が書いては置いていくものだと思う。鳥が食べても誰も拾わなくても、落とした事実が永遠に残るのがネット界隈の恐ろしさであり安心感です。

私の好きな人やモノとはつまり私を構成しているもので、これが一つでも違ったら良く似た別の人になるのに、それをどれだけ綿密に語っても愛しても再現しても、私が好きな人やモノになる日は来ないのは不思議だなと思う時々。
言葉の危うさの上で綱渡りをするスリルがきっと快感でどうしようもなくて、私というどうしようもない人間が出来ているのだと思う。

まぁ今のご時世だとただの炎上の元なんですけどね。あらら消毒のつもりのアルコールも、引火しちゃえばガソリンと一緒なのね。

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