見出し画像

私のすべて(過去ブログより)

プロフィール記事にするために、以前別の場所で書いていたブログをこちらにまるっと載せます。これを書いたのは2018年なので、状況が変わっている部分などは少し追記しています。


画像1




類は友を呼ぶ と言う。

 わたしの周りには、メイクやファッションが好きな友人が多い、と思う。
 だがわたしにはもっと多くの「好きなこと」があって、その多くを分かち合える友は今のところ2人しかいない。いや、2人いれば良い方なのかもしれないのだが、もっと欲しい。もっと分かち合いたい。何の話をしても通じる友が、もっと、欲しいのである。

 経験から言うと、好きなものが多く重なる友は日常のふとした場面での思考の移ろいが似ていると言うか、諦めるタイミングが似ていたり同じ方向を向いていたり、一緒に居て心地が良い人が多い感じがする。「あっ、そういう意味で言ったんじゃない…」と慌てて訂正する場面が無いだけでかなり楽で、多分こういうことを「価値観が似ている」とまとめるのだろうと思う。

 そもそも、類は友を呼ぶ というのはこちらの情報を発信しているからこそ似たような人が近寄ってきてくれるわけで、わたしは自分の好きなものに対しての発信が不十分なのではないか。これでは友も寄って来ようがない。
 と いうことで、自分の好きなものを整理するために、ここにまとめて書き綴ろうと思う。気が遠くなる作業だが致し方ない。長くなることを覚悟して書き始めよう。


読書


 わたしは読書が大好き。幼少の頃から母親がバリバリ絵本を読ませてくれたおかげだと思う。
 幼稚園の頃は、朝イチで図書室のドアにおでこをぴったりつけたまま鍵を開けてもらうのを待ち、前日隠しておいた園内ナンバーワン人気図書 その名も「エルマーのぼうけん」をいの一番にゲットするため、コミケの始発ダッシュさながらの猛スピードで本棚に駆け寄るような子供だった。何度読んでもスリル満点の冒険物語は、幼稚園の頃のわたしにとってのバイブルであった。読む最中は気持ちがはやり、次のページを読みたい一心で本をめくるので、ここで速読のような技術が身についてしまった。現在も本を読むスピードがめちゃくちゃ早い。

 小学生になると自転車で片道20分ほどの市立図書館へ行き(ここではわたしは耳をすませばの主人公なので、野良猫がいれば自転車を放置して見境なく追いかけた)

ある日児童図書コーナーの最も奥にある棚で運命の出会いを果たした。

その本は赤っぽい茶色だったか、当時のわたしには持つのも大変なほど大きくて重くて厚かった記憶がある。ネバーエンディングストーリー、そう、「はてしない物語」である。
 いつも読んでいる本とは比べ物にならない、とんでもなく大きな本があるぞ、と思って取り出すと映画さながらの古びたハードカバーで、こりゃ物語始まっちまったな、と思った。大興奮のわたしはそれを自転車の籠にそのままぶち込んで、20分の道のりを立ち漕ぎで家に帰った。あの時確かにわたしは不思議な物語の主人公で、目に飛び込んでくる文字はそのままオリジナルの映像となり、時計の針は驚くほど遅く進んだ。その本は読み終わって返却するその時までわたしに不思議な力を与え続けた。
 読んでいる途中で、この話はわたしがビデオに録画し擦り切れるほど観ていた「ネバーエンディングストーリー」と同一だと気づき、文字になった物語の映像とは違った楽しみ方を知ったのもこの時だった。わたしは、わたしの頭の中で映画を作ることができたし、それができると分かってからは、いつも空想と現実の世界の境目を漂うことに没頭した。

 そんなわたしは大人になった今、1日に3冊ほどの小説を読み終えることができるようになり、その全ての内側に入ることができ、気持ちにムラがあるので読まない期間もあるが、本に囲まれた生活を送るようになった。本を保管するスペースがないので、本は買って読んだら人に譲るか古本屋さんへ。本当に大切だと思った3冊のみしか手元に置いていない。(現在は7冊ほど手元に置いています)

  たくさんの本を読むうちに苦手なものや好きなものが分かってきて、その中で一番大好きな作家さんは辻村深月さんだった。彼女の全ての物語を読み終え、何度も読み返し、どうしたって一番好きだと思った。全て読んだという点で言うと、伊坂幸太郎さんの本も同じだ。以前は伏線を綺麗さっぱり全て回収していたのが、近年では「ちょっと謎を残してもいいかも」と変化してきた、というのを何かで読んでなるほどそれもいいかもな、と思ったのは数年前だ。(今のところ一番好きなのは辻村深月さんの「光待つ場所へ」のなかの「しあわせのこみち」)。あと笹井宏之さんの「えーえんとくちから」これは読んでいるうちにいろんな感情が心から溢れ出る魔法のような短歌集である)
読書が好きで好きで、自分で小説を書きたいと思ったことも数億回ある。が、1万字〜2万字ほどの支離滅裂な物語を数本書いたところで、自分が短距離走の選手だったことを思い出した。
 頭の中で物語の構成の細部を組み立てることができない。短い物語だとそれは得意な方なのだが、わたしが書きたい長編はその程度では完成しなかった。長距離走の選手のような我慢強さやしなやかさがないことは昔から悩みだったが、我慢強さがないために長い間悩むこともできずこのコンプレックスさえも定期的に忘れている。

 ただ、こんな風にブログを書いたり、コラムを書いたり、文字を書くことは今後積極的にやっていきたいことの筆頭で、随分前から書き溜めている色々をそろそろ形にしたいなと思っている。思っている!(大声)以前友人たちと作ったzineのようなもの(そのときはイラストと短編小説、詩と写真が詰まったものだった)をまた作るのもいいな。

 読書が好きです!辻村深月さんが好きです!と言いたかっただけのにこんなに長くなってしまったな、、、基本的にわたしはハッピーエンド侍なので、希望のある終わり方の物語が好きです。バッドエンドを否定しているわけではなくて、ハッピーエンドとしか生きられない というニュアンスなのでよろしくお願いします。

映画


 読書のくだりであったように、わたしはいつだって頭の中で映画を作ることができた。本を読みながらそれを映画にすることはもちろん、朝起きて洗面台へ向かい歯磨きをしているときは明るめのポップスが脳内で鳴り響き、あらゆるアングルから主人公の日常が写し出される映画の冒頭(わたしの大好きなシーン)、いつだってわたしは主人公になりきってきた。
 幼い頃父親が「これを見て人生を勉強しろ」と言って観せてくれたのはヤクザしか出てこない作品だったが、その後たくさんの映画を父と鑑賞することになる。父はスティーブンセガールさんの沈黙シリーズ等アクション映画が好きで、主人公が逃げ込んだ先で作る即席の爆弾や拳銃の種類、人間の急所などを事細かに教えてくれた。たまにドクタードリトルなんかの平和なタイトルも挟みながらわたしはアクション映画が大好きなまま成長し、今ではホラーと動物モノの泣けるやつ、ヒーローかヒロインが不治の病で必ず死ぬやつ以外は分け隔てなく観るようなマルチな大人になった。

 恋人(今は夫)がプレデターとソウが大好きなのでその影響で最近この2作も観るようになったが、ソウはやっぱり苦手だ。

 読書然り映画然り、わたしは「非現実」がどうしても愛しい。一分一秒でも多くあちらの世界に留まりたい。そのうえその「非現実」を創り出せるとしたらどんなに幸せなことだろう、と考えた高校生のわたしは、当時家にパソコンがなかったため友人宅のパソコンを拝借し、ピクサーの募集要項を永遠にコピーし(どこからどこまでがそのページなのか分からず70枚くらいになった)その全てを和訳した。13歳のハローワークの映画製作に関するページを独自にノートにまとめ、いつか必ず海外で映画を製作するぞと意気込んで勉強したそのおかげで英語の成績は高校で10番以内だった。
 しかし映画に関する色々を調べるうち、それがいかに狭き門なのか、どんなに大変な仕事か、離職率がどれだけかが浮き彫りになり、慎重で臆病な三姉妹末っ子のわたしは、映画への関わり方を考え直す結果に至る。
「残業のないところで働いて、終業後や休日にたくさん映画の観れるOLになろう」将来の映画への関わり方がものすごい勢いで変化したが、かなり現実的な判断であった。これしきの覚悟では映画製作になど携われるわけがなかったのだ。そうして今わたしは将来の夢を達成している。達成しやすい夢を設定してくれた高校時代のわたしをハグしたい。

 読書の方でも書いたことだが、わたしは文字を書くことも大好きなので、映画についてのコラムやあらすじ紹介なども今後やってみたいことのひとつ!こういうことは声を大にして言っときなさいとじっちゃんが言っていた。(今は制作に追われて何の時間も取れていないけれど・・・)

 もうここまでで3000字くらいあるな、これはこの先料理、インテリア、美容、音楽、ファッション、文房具、写真などなどを書いていたら巻物みたいになってしまう。

 ということで何部かに分けて自己紹介をしようと思うので、これに懲りずにまた見に来てください。


これを書いてから他の自己紹介もいくつか下書きをしてはいるのだけれど、なかなか編集が最後まで進まずにいるので、偏った自己紹介記事としてこれを設定しておきたいと思います。

いただいたサポートは、今後の創作物や文章に活かせるような書籍代に充てさせて頂きたいと思います〜!