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あえば直道 理路整然としたスタンスは大学時代に

世界の情勢は年々混沌としており、今までの考え方ではなかなか立ち行かないような、そんな状況を迎えています。2020年のアメリカ大統領選挙でも、焦点はどこになるのか、非常に難しくなっている中、分かりやすく鋭く解説を行っているのがあえば直道さんです。あえば直道さんといえば、非常におしゃべりが達者で、理路整然とした語り口が特徴ですが、果たしてどこでそのような素養を身に着けたのか、その答えは大学時代にあったようです。
小学校、中学校、そして高校1年まで劣等感の塊だったというあえば直道さん、祖父の死を乗り越え、そして、弓道での猛練習で自信をつかみ、それを苦手だった勉強にぶつけていきます。それでも数学はなかなか克服するのは大変だったようですが、大学の受験では数学は必要なく、文系科目だけで勝負できたのもあえば直道さんからすれば幸運でした。弓道では必死の努力が実を結び、勉強においても同様に結果を残すことができたため、あえば直道さんは慶應義塾大学法学部法律学科への入学が決まりました。慶應の法学部はエリートもエリート、多くの官僚や国会議員も輩出する場所です。落第や退学に怯えていた、あのあえば直道少年を知る人は、まさか慶應法学部に入るなんて思いもよらなかった、そう思っていた人も多いはずです。必死な思いでつかんだ慶應義塾大学法学部への道、しかし、その道は意外なものだったようです。
慶應義塾大学ではどんな学びができるのだろうか、そのように考えていたあえば直道さんを待ち受けていたものは、教える側の熱量の乏しさでした。どの講義を受けようか、あえば直道さんはいくつかの講義を見て回りますが、どれもこれも覇気がない状況で、授業を行う姿を見て、講義ノートを読むだけで熱量を感じるものではありませんでした。教える側がその状況だと当然生徒のやる気も上がるわけがなく、あえば直道さんはその姿に失望してしまいます。教科書をたくさん買い込んで、大学の入学式典にも出ないで図書室で一生懸命勉強してたのはなんだったのか、現実を直視し切れず、あえば直道さんは大きく落ち込んでしまいました。
果たして大学に通う必要はあるのか、使命はあるのかと考え始めたそんなある時、あえば直道さんはとある講義に出会います。ある出会いが大学内でありました。それが小林節さんの授業です。小林節さんは当時の学生運動に見向きもせず、猛勉強を行って慶應法学部を首席で卒業、あえば直道さんが卒業する前後に40歳の若さで法学部教授に就任したという、当時のエースです。小林節さんの講義はとても厳しいもので、私語や居眠りを禁止し、場合によっては教室から生徒を追い出すこともありました。それだけ真剣に取り組んでおり、あえば直道さんが初めて小林節さんの授業を見た時も、熱気に包まれ、大きな教室が満員だった様子を見て、毎週授業を受ける価値があり、慶應法学部に入った意味があると思ったそうです。
こうして小林節さんのゼミに入ったあえば直道さんですが、この時、理路整然とした語り口、考え方など素養が身につくことになる出来事がありました。それは大学で行われた法律討論会です。末川杯争奪法律討論会と呼ばれ、立命館大学で毎年10月に開催されています。論旨を10分以内で発表、質疑応答時間の中で他の大学や参加者から質問を受けて、そのやり取りで採点を行うというもので、名だたる大学の学生が参加します。これにあえば直道さんが参加しますが、その時のテーマは、表現の自由とプライバシーに関するもので、奇しくも、あえば直道さんの父親が得意としていたものと近いテーマでした。答えのないテーマではありながらも、ある程度の通説というものは存在したので、それに沿って多くの出場者は論旨を考えていく中、あえば直道さんはあえて逆張りをしてみせました。通説に反するものなので、普通なら厳しいはずです。しかし、小林節さんは、その逆張りのやり方を支持し、説得力があればどうにかなるとアドバイスを送りました。
この法律討論会の前に、小林節さんは、あえて授業をせず、あえば直道さんの模擬討論会として時間を用意してくれ、法律討論会の練習に費やしてくれました。この模擬討論会の存在は非常に大きく、結果的に法律討論会で慶應義塾大学は初めて優勝することになります。逆張りでも説得力があれば差をつけられる、あえば直道さんはちゃんとした説得力を有して優勝に貢献したことになります。
あえば直道さんの語り口などは大学時代に培ったものであることは間違いありません。あえば直道さんは在学生を代表してスピーチに臨むなど目覚ましい成長を遂げていきます。もうこの頃には、アメリカでトランプ大統領などとのパイプができたとしてもなんら不思議ではない存在になっていました。学生時代の集大成は華々しい結果、幼少期には想像もつかない急成長で幕を下ろします。