メカたま日記Season2 Day136

今回も、座学の為、ネタが無い訳では無いけど、一つ良いネタを見つけたので、それを書こうと思う。それは、人々が、快適に移動することが出来るようにもなった、「カーナビ」。実はこれ、初登場が1981年と、今から41年前に出た、アコードのオプションとして、登場したのが最初。その時のホンダ車と言えば、プレリュードとかもそうだけど、あの薄っぺらいハンドルが有名だよね。それに、セルで出来た、地図を専用の機械に入れて、専用タッチペンで、目的地をマーキングするなんて言うのがあったけど、欠点として、当時の最高技術を入れるだけ入れてたが、精度なんて、ガバガバ所では無かったし、何なら途中でセルを変えることだってざらだった。てか、先生が俺に、「昔のカーナビってどんなだった?」と聞いてきて、これ答えた時は、相当驚いて「どっからそれ知った!?」と聞かれて俺は、「プロジェクトX読み漁って知りました。」と答えたりもした。実は俺、中学の終わり頃は、授業にはちゃんと出席しつつも、昼休みとかを図書室で過ごしたりしていた為、プロジェクトXを自由に読み漁る事が出来たと言うより、誰も読まなかったので、殆ど俺が読んでる形だった。皆も時間があったらで良い。プロジェクトXを見たり、書籍を読み漁って欲しい。個人的に好きなのは、マツダの「ロータリー四十七士」と「日本車初のル・マン総合優勝」の回と、「命を救え!国境を越えた救出劇 コンスタンチン君・命のリレー」という、俺の母親がルーツを持ってたり、母親の父が住んでいたという、北方領土の一つ、サハリン(樺太)で、大やけど(熱傷度Ⅲクラス)を負った3歳のコンスタンチン君を助けるべく、日ソ間で交わされた「善意」のバトンタッチを描いた回とかがすごく好きで、何度も何度も読み返したりしていた。そして、俺が言った「ホンダエレクトロジャイロケータ」も、プロジェクトXで特集されているが、残念ながら、中学卒業までに、ありつける事が出来ずに終わってしまった。あとは、今も日産の「歴史」を語っている「フェアレディZ」の誕生秘話とか、「名車」と言われている、「日産KPGC10スカイラインGT-R」通称「ハコスカ」とかも読んでると、GT-Rの誕生秘話から、RB26DETTの「最終章」と言われた「日産BNR34 スカイラインGT-R」までには、どんな経緯があったのかも知る事が出来る。話が幾分逸れたが、当時出た「ホンダエレクトロジャイロケータ」というのは、道路交通網の歴史を変えた、機械だと言うこと。また、これを発展させまくったのが、今の「カーナビ」という事になる。今回は、ここまで!


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