人への対価。

 ハッピーバレンタイン!もう日付は変わったけどな。
 人から物を貰うなんて人生、マジでどうやったらそんなルートに行けるんでしょうか。ルートとか言ってるやつに来るわけないか。
 人に物をあげる、という行為は大変すごい事だと思う。俺がその行動を起こせば必ず裏に相手によく見てもらいたい、という感情が湧き上がって自分を殺したくなるのだ。
 それが普通なのかもしれない。お礼、とは言っても何かしらの対価を払いそれを自分のためではなく相手に捧げる行為、俺にはできない。
 とは言っても友人間でならモノ、ないしは対価の交換はよく行なっている。俺の場合は高校生活や社会人なりたてのパチンコに全てを溶かしてた時代に友人に遊ばせてもらっていた為その時のお返しとしてガソリン代や食費を払っている。それら全てはあの時の感謝である。正直どれだけの物事をしてもらったか覚えてない為自分が飽きたらバッサリやらなくなるであろうけど。
 チョコなんてもらった日は心が潰されるかもしれない。勿論そんなことはないだろうしただ見栄張っていってるだけではあるが素直に喜べない。俺はそんな大きなモノに対して払える対価が無いから。
 だから極端に「俺がこうすれば相手方はそれだけで喜んでくれる」と明確にわかってるのがいい。例えば3日前のアイマスの合同ライブ。チケット代を払い、視聴すれば最低限の対価の交換はできているのだ。ありがとうアイドルマスター。ありがとう釘宮理恵さん。
 チョコは欲しいけど、その後にくる自分への感情に怯えてしまう。

 時に友人の話。その友は俺と遊ぶ際、必ずと言ってもいいほど手見上げを持ってくる。この前はスノーファンタジア味の飲み物であり、その昔はコーヒー牛乳の1Lやほうじ茶ラテなんかを買ってきてくれる。コレに対して俺ができるのはなんなのだろうか。
 遊ぶと言っても何か一緒にするわけではなく、俺の家で友はポケモン、俺はFPSや切り抜き動画なんかを見ている。少し気分を変えたい時は友が運転する車で昼飯を食いに出かける。話す内容は互いにオタク的趣向は似ているが近況としては同じ物を見ているわけではない。友は職場先の先輩や他友人から勧められているアニメやコンテンツを消費していること、俺は近日あったVtuberの話や友が知っているコンテンツのライブの感想などを言っている。だが、そんな話はいつでもできるわけで、時に重きを置いているのが仕事における悩みである。
 友人は就職1年目から「この会社はやばい」と言いつつ辞めずに働いているのだ。俺はコロコロ職種を変えているので「そこまでいったら頑張ろう!」なんて信用ゼロの言葉は掛けない、というか俺が嫌いな継続勤務ベクトルでもある。
 まぁ友人の話を聞くたびにある程度の息抜きはできているみたいだし、こうして切羽詰まって俺と話しているわけでもない。彼女と別れたと言う話も自分から話してくれる。些細な事だがそうやって俺が聞く事によって棘が彼の心から抜けていることを祈っている。
 絶対に彼はそこまで考えていないだろうが、手見上げには「自分の話を聞いてくれてありがとう」という思いが乗っていることを勝手に想像して、俺はそのお礼に「真摯に傾聴」しなければならない。それが俺にできる友への対等である為の心構えなのだ。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?