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自由貨幣の経験(365夢Screen114)

資本主義とは資本を持つ者、
つまり資本家が、
その資本を最も効率的に拡大する方法として
設計されたシステムだ。

そして魅力的な製品を生産できれば
必ず消費者を獲得することができた時代には
商品の開発・製造・販売こそが
最大の資本拡大効率を達成できる方法だった。

その次代に資本家が商品生産に投じた資本と、
消費者が賞品獲得に投じた資金は、
さほど異なる資金とは思われなかった。

たが、資本家が商品生産に資本を投じるよりは、
むしろ商品生産のための企業に投資することを
資本拡大の手法として選好する時代にはいると、
もはや資本家が投じる資本と、
消費者が商品獲得のために投じる生活資金とでは、
その規模も意味合いも乖離してきた。

いわゆる【マネー経済】と【実体経済】の
規模的な乖離が始まる。

そしていまや【マネー経済】の規模は
【実体経済】の数倍、数十倍とも言われるが
実際は数字などいくらでも操れる。

実際、生活のために動くお金の世界と、
投機のために動くお金の世界は
その動作原理も規模もまったく異なる世界だ。

いまや各国の法定通貨(つまり国際金融通貨)は
いやおうなくマネー経済の影響を
受けざるを得なくなった。

世界の支配層が「グレートリセット」を急ぐのは
この「お金」による間接的支配を
もっと直接的な有無を言わさぬ支配に
切り替えるためだ。

もちろん、
支配層の指示に真面目に付き合っているかぎり、
その支配から脱する道はないように思われる。

しかし支配層がこれほど急ぐのには
それなりの理由もある。

このまま地球の波動が高まり続け、
それに合わせて外宇宙からの情報が入り続ければ、
もはや彼らの「思考の檻」自体が
維持できなくなってしまうからだ。

支配層の意を無視するものが増えれば、
彼らには何もできない。

孤立経済圏はけっして荒唐無稽な夢ではない。

それは一つの可能性のビジョンとして
着実に姿を現しつつある。

単純なことだ。

ただ、国際金融通貨と別に、
国民の生活のための通貨を作ればいいだけだ。

それは国内だけで流通する
国民の生活のための通貨だ。

この「国民生活通過」は
日本のような域内での生産力が
域内での消費力を超えた地域では、
事態にふさわしい形で、
つまり経済政策として消費する各個人に向けて
生活資金として支給される。

一挙に大きな金額を支給することは、
現実的ではないし、またその必要もない。

年間ひとりあたり十万円程度の
現金支給から始めてもいい。

ただし、福祉予算ではなく、
経済振興作として支給しなければならない。

そしてひとつ肝心なことは、
この「国民生活通貨」は国際金融通貨とは、
ある意味でリンクさせ、
別の意味ではリンクさせないことだ。

ある意味でリンクさせるとは、
「国民生活通貨」は「円」と市場を通じて
交換可能であること。

そして別の意味ではリンクさせないとは、
それが国内でしか通用しない
「自由貨幣(減価通貨)」であることだ。

「自由貨幣(減価通貨)」の1万円は、
1周間に200円減価する。

一年間で完全に償還期を迎え、
その時点のその通貨の持ち主は
「円」にするか「自由貨幣(減価通貨)」にするかの
選択肢を与えられる。

その交換率はそのときの
「円」と「自由貨幣」の交換市場価格でなされる。

「自由貨幣」が選好された場合、
新たな新札が渡されるが、
その時点でそのほかに償還された
新「自由貨幣」が財源に追加されている。

その新財源は月を追うごと、
年を負うごとに追加されて
「自由貨幣」による「国民生活通貨」財源を拡大してゆく。

国民全員がこの生活経験を経れば
減価通貨がなぜ「自由貨幣」と呼ばれるのかを
理解することだろう。

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