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国際政治同時進行世界史&日本史 倭の五王 新規訂正版 2024.9.15

412年 允恭天皇即位 允恭天皇元年12月-允恭天皇42年1月14日(西暦454年、
    古事記記載の年号と一致)。倭王讃は、倭国本朝の允恭天皇と同定。
    仁徳天皇陵は、倭国本朝允恭天皇陵でしょう。
    同様に、応神天皇陵は、倭国王の獲加多支鹵(ワカタケル?)大王陵
    でしょう。
413年 朝貢 👈倭王讃
421年 倭王讃朝貢
425年 倭王讃朝貢
430年 倭王讃朝貢
435年 允恭天皇23年木梨軽皇子皇太子
438年 倭王珍朝貢 讃死して珍立つと上表文に記載。
    允恭天皇は、435年-438年に崩御。
    倭王珍は、木梨軽天皇と同定。在位438年-451年
    記紀によると、人気が無く、殺害された様です。
443年 朝貢 👈倭王珍
451年 倭王ゼイ朝貢。倭王ゼイ在位451年-462年
    允恭天皇の子息で残るは、2皇子。
    第3皇子 坂合黒彦天皇(倭王興に同定。在位462年-465年、
    父は木梨軽天皇) 母は忍坂大中姫命:稚野毛二派皇子女。
    古事記によると、雄略天皇に焼き殺されました。
    第4皇子 八釣白彦皇子 母は同上。雄略天皇に斬り殺されました。
    木梨軽天皇は、安康天皇(在位451年-462年、倭王ゼイに同定)
    に殺害されました。
    安康天皇は、木梨軽皇子の子の、坂合黒彦天皇と八釣白彦皇子に
    殺害されました。
    雄略天皇の父親は、安康天皇と成ります。
    日本書紀によると、安康天皇在位454年-457年
    允恭天皇42年12月14日-安康天皇3年8月9日
    中国文献を考慮すると、倭王興在位462年旧暦12月14日-465年旧暦8
    月9日
460年 朝貢 👈倭王ゼイ
462年 倭王興朝貢
    日本書紀によると、雄略天皇在位457年-480年、
    安康天皇3年12月13日-雄略天皇23年8月7日。
    古事記によると、489年己巳年雄略天皇崩御。
    逆算して、雄略天皇在位466年旧暦12月13日-489年旧暦8月7日
    倭王興崩御465年の翌年。
477年 👈倭王武 父ゼイと兄興を弔って居たと上表文に記載。
478年 倭王武朝貢
479年 朝貢 👈倭王武
    倭王武は、雄略天皇に同定。
489年 雄略天皇崩御。古事記による。
    倭彦王逃避により、5年間の空位。
494年 継体天皇即位。👈503年百済武寧王から男弟王に献上された、
    隅田八幡神社人物画像鏡より、算出。
502年 建国により、遼の武帝、倭王武を進号。

 とんでも無く、難しいです。
以上は、中国の記録や記紀の記載からの類推です。
 当時の国際情勢を鑑みますと、国内戦をやって居る余裕等、有りません。
実際は、半島に出兵して居り、半島戦での戦死だと、思います。
記録を曖昧にする為の工作だと、思います。
半島戦については、天皇とは分けて、別に、詳細に記載されて居ます。
半島戦に付いては、過去の note にて、一部分西暦に変換して、詳述、発表済です。
三国史記と照合して、導出出来れば良いと、考えて居ます。







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