言葉は視認できないから壁打ちができない
本気で「もう死ぬか」と思ったことも、本気で「もう殺すか」と思ったことも両方ある。ないならない方が気が楽な経験だと思っている。
この時はすごく悲しんでいるわけでもすごく怒っているわけでもなかった。単純に、なんと言えば良いか、映画の冷たい熱帯魚終盤で吹越満演じる社本が娘に向けた何も見ていない顔のようなただもう疲れきってドロドロの鉛のようだった。
朝何らかの形で2度と目覚めませんようにとは寝る前週に何度も期待するけれどいまだ叶ったことはない。こんなことがいちいち叶ってしまっていたら人間はコンビニの数より少なくなるかも。な〜
5.13
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