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積む者の、黄昏の国 1/2

1.積む者を考える

誓約「積む者」は、聖騎士フォドリックの死とともに真相が袋小路に陥ってそのまま薄らいでいく不思議な概念です。

他の誓約、たとえば「暗月の剣」や「神喰らいの守り手」などはストーリーの本流とも接するのでテキストが豊富…ですが「積む者」はテキストの少なさも去ることながら、どうやら「亡者化」に関わりがある。

これはダクソの世界観において重要な概念なのでは?

あれはいったい何なのだろう、という疑問はずっとありました。
一旦、材料を並べてみましょう。

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■枷の椎骨
「積む者」の誓約にある者が 他世界の者たちを殺し、見出す特別な骨
それは椎骨にひとつだけ見られるもので 積む者たちはそれを、神の枷と考えている
■血狂い
古い「積む者」の刀剣 彼は祭壇に犠牲を積み 最後に自らそのひとつになったという
そして一振りの刀を、後の家族に残したのだと
■ぬくもりの火
彼らは神の枷の外れるのを恐れ 家族を求めている ならばこれは団欒の火であろう

以下にまとめてみます。

積む者は、
①できるだけ積みたい=枷をたくさん欲しがっている=神の枷を是としている
②逆に、枷が外れることを恐れている
③自世界ではなく、他世界の者を殺してのみ得られる
④自ら殺した犠牲者たちが最終的には家族になる


2.最後まで人であれ

①と②はほぼ同義ですが、アシッドさんの考察が答えのように私は思っています。

人間と言う奴らには度を越えた変態能力が備わっています。鳥や虫や木、どのような形にも姿を変えてしまう。きっと不死の肉体故にこんな芸当が可能なのでしょう。そんなタガの外れた「不定形」さをこそ神々が恐れたというのであれば、それを普遍的な「人の形」へと押し込めるために設けられた「枷」、それこそが「椎骨」の役割なのではないでしょうか。

なるほど、火の時代の終わりにおいて諸人が亡者化し、その形を失いかねないこのタイミングだからこそ、フォドリックが「最後まで人であれ」と願い叶える方法が、まさに積む者の行為そのものだったと。

※ とはいえ、フォドリック一個人の答えであり、ダクソ世界全体の答えというわけではなさそう。「人であれ」を叶える方法は、NPCそれぞれの考えのもとそれぞれが提唱しています。

①と②の目処はつきましたが、③と④が未解決なのです。


3.他世界に狂人として出現する

③自世界ではなく、他世界の者を殺してのみ得られる

当然ですが、誓約なのですから他世界に侵入する/招待される事になります。自世界の中で侵入する/招待される事はありません。
際だって「積む者」はシリーズの中でも特殊唯一無二で、侵入・招待どちらにも誓約として対応します。

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オフラインストーリーの中でもフォドリックは不死街に侵入してくるし、磔の森で招待を待っている。メタ的に言えば、これは紫サインのシステム紹介のようなもので、いつもなら赤か白で入ってくるけどこの誓約者はどっちも紫だよ、狂っているよ。(そして全員敵に回すことを厭わない人たちだから、腕に自信ある人たちだから、めっちゃ強いよ)というメッセージに他なりません。

では、なぜ他世界で搾取した椎骨を自世界で積みたいのでしょうか。
それが判然としません…が、せっかくなので無理やり次の④につなげてみましょう。


4.人類総亡者家族計画

④自ら殺した犠牲者たちが最終的には家族になる

字面だけ見れば、どこぞのB級ホラー映画の要素なのですが、要するに狂気を言葉にするとこういう表現になるのでしょう。

私が疑問に思うところはフォドリックの台詞にあります。

■聖騎士フォドリックの台詞
この場所で、犠牲を縁と積むがよい
…狂えばわかる。それが家族になっていくのじゃ
"Come here to pile up your victims, for that will form your anchor. You'll see when you go mad. They'll be your family."

日本語ではなかなか読解しきれない表現が、英語音声にはありました。直訳すると「アンカーを形作る」、はてさてアンカー…まんま「錨」と訳して総じて意味は通じるでしょうし、「(精神的な)よりどころ」と表現することも可能です。

私流によりシンプルに訳してみると、

この場所で犠牲者を積むがよい、その行為が貴公の心のよりどころを形作るのだ。狂えばわかる。彼らが貴公の家族となるのだ。

これだと、「人は最後はみな亡者」とそんな時に「先に死んでいった者たちが君の家族となる」は繋がってくるようですね。

ふむ…とはいえ、ここへきても何故、犠牲者を積む=枷の椎骨を集める事が、家族ひいてはぬくもりを得る事につながるのかは、未だ明確にわかっていません。

※ 「人を殺したがる」欲求そのものは「亡者が人を襲う習性」に関連していると思います

※ 何故「骨なのか」は、おそらくは最初の死者ニトに関係する要素なのでしょう

ですが私個人の印象では、フォドリックは「心のよりどころ」が欲しかったがゆえ狂気に走ったのではないかと感じます。

火の時代の終わりに諸人が記憶を失い、正気を失い、亡者化すなわち人ではなくなってしまった時…「あなたの寄る辺」はいったいどこにあるというのでしょう。また、どこにあると彼ら亡者たちは信じればよいのでしょう。(本来は信じる心もないはずですが…)

フォドリックはこうも言っています。

"This pit is for Hollows, and for the occasional madman fond piling up victims. You've better things to do, I'd hope?"
この穴倉は亡者たちの為にあり、犠牲者を積むたがる奇特な狂人の為の場所でもある。貴公には他にやる事があるのだろう?

「私と亡者たち」の為の穴倉にて、「私と亡者たち」の為の祭壇を作り上げたわけですね。

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彼は「よりどころ」を亡者たちにも用意してあげたかったのではないでしょうか。そう思わせるくらい、数少ないながら彼の言動には亡者たちへの慈しみを感じるのです。

■ぬくもりの火
彼らは神の枷の外れるのを恐れ 家族を求めている ならばこれは団欒の火であろう

事実、フォドリックはあれだけの人間を殺し、枷を祭壇に積み上げてても、自らが亡者化するまでは自世界の者は誰一人殺していません

※ 前述のとおり、不死街や磔の森で主人公を襲ってくるのは、同じ使命を背負ってやってきた「他世界のフォドリック」です。

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今回の話はここまでとなります。

もっともっと掘り下げたい意欲はあるのですが、家族社会学的な視座が不足していると思いました。家族という輪は、どのくらい拡げられるのか。フォドリックが自世界の者を殺さず、他世界に侵入して椎骨を得ようとする背景には、【自世界=家族/他世界=家族以外(外敵)】というプリミティブな価値観が根っこにあるのでは、という仮説です。
それはまた別の文脈で考える事とします。

次回は、全然違う角度からギリシャ神話についてお話ししたいと思います。

積む者の、黄昏の国 2/2 に続く



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