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不登校特例校

いじめがなかったらきっと不登校特例校というところを知る由もなかった。
そう思うこの頃です。

息子が、いじめにあってしばらくしたら、学校へ行けるはずと心から思っていた時期もありました。ただ、加害者側の対応や、学校の対応と息子の心の問題と感覚の問題が重なり、日々が過ぎてゆくばかりでした。

不登校と聞いて、昭和生まれのわたしにとって勉強ができない子、ついていけない子という印象がありました。我が子が不登校なんてありえない。

でも、毎日息子を見ているとそうじゃない。勉強も大好きでした。クラスで誰よりも手を上げて答えていました。なのに・・・
いけなくなった。なぜ、毎日1番に登校していた息子がいけなくなった。
原因があるはずです。

この子の居場所は、家?会議室?相談室?いじめ子は教室?なぜ、でしょう。なぜ、いじめを受けた息子が、隔離されなければならないのか。授業を受けられないのか。この頃、在宅勤務をしながらも自分を責め涙の毎日でした。

居場所

息子には市の合唱団という居場所だけが残されました。在籍校に同じ団員がいましたが仲が良く理解あるご家庭だったので変わりなく一緒に参加させていただけました。今思えばこの居場所が息子を救ってくれたと感謝しかありません。

悪夢

夏休みも終わり二学期になっても学校側や加害者家族との話し合いもなく息子は隔離されままでした。公立一貫校の受験を諦めきれなかった私のために息子は頑張って毎日1時間だけ登校していじめっ子に遭わないように毎日びくびくしていました。毎日いじめられた夢が彼を襲い苦しそうな寝言で私も夜中に目を覚まします。

素敵な出会い

年末、元定時制の教職員に出会います。彼は息子を連れ出し犬の散歩や食事に連れていき話を聞いてくれました。親には言えない何か話していたのか学校へ行きたいけど行けないそんな気持ちを打ち明けたいたのか、、、
元先生の彼は、私たち親子にフリースクールや不登校特例校の小学生用が我が街にあることを教えてくれました。ここは出席とみなしてくれる通級となります。
ただ、毎日1時間学校へ行っていたことで不登校扱いにされていなかったのですぐには入れませんでした。
また、被害者の母であることで学校側の対応や加害者に対して教育委員会側からしたら私が加害者になっている(モンスターペアレント)だと思われていると言いました。息子が、学校に行けるならなって思われようと構いませんが、あまり気持ちのいいものではありませんね。
その時からこのままではいけないとわかり、息子の全身の感覚過敏も以前より悪くなっていたこともあり、学校へは行かなくなり本当の不登校となりました。

新しい生活

三学期やっとの思いで不登校特例校(小学生用)の入ることができました。でも、ここで普通の小学校とは違います。高学年と言ってもまだ小5に自学自習をさせます。毎日の送り迎えとお弁当これだけで母の時間が取られてしまい仕事なぞできない状況となります。
2Eギフテッドの息子にとっては、好きなこと勉強できると思っていましたが、夢叶わず学校の範囲内でと言われ本当につまらない時間だったようです。簡単な問題を解き正解だと馬鹿にしてるのか大喝采で褒め称える先生方。その先生方に合わせるのが辛くなり、とうとう2ヶ月半くらいで行かなくなりました。😭やはり、フリースクールの方がこの子にはあっていたようですが、高額な学費は出せないのが本当に情け無い思いでいっぱいでした。
もう小6となると思うと修学旅行にもこのままだといけない。加害者の母と児童と学校関係者と9月の話し合いの内容を思い出すとここにはいてはいけないと思うようになっていました。
4月やっとの思いで転校が叶いました。今、理解ある学校側と優しいお友達に囲まれて毎日楽しく小学校生活最後の1年を過ごしています。
もちろん、修学旅行には参加できました。

最後に・・・

今回もみなさん最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は、いじめ問題から離れて息子がいじめに遭った原因でもあるAPDについて詳しく書いていきたいと思います。こちらは有料となりますが、よかったらご覧ください。


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