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【ブルアカ】エデン条約編【シナリオ考察と感想】

 数多のユーザを狂わせたエデン条約編。あまりにも話題になり過ぎて、ブルアカを知らない私でさえ、その表題だけは知っていた。どんなモンかと覗いてみたら、噂通りのとんでもなさだった。こんなん読んだら誰だって狂う。軽い気持ちで挑むものじゃなかった。

 とはいえ、超質量のシナリオを全部振り返って感想を書いたら文量が飽和する。シナリオの感想は数万の人間がライター顔負けの文で語っているので(何なら法人が記事を書いているレベル)、所感はほどほどに言いたいことだけを書き残そうと思う。


エデン条約編 何が凄い?

①対立関係によるキャラクターウェブ

 そもそもどうして、エデン条約編は面白かったのか。

 まず挙げられるのが、生々しい身内の派閥争いと学園間の対立関係をこれでもかと描いているところだろう。また、対立がキャラクターの外殻を形成し、登場人物に深みを与えている点にある。

エデン条約編 〜ざっくり相関関係〜


 急に複雑過ぎるんよ。

 元々、トリニティは一枚岩ではなく、パテル分派(ミカ所属)、フィリウス分派(ナギサ所属)、サンクトゥス分派(セイア所属)で対立していた各派閥が「第一回公会議」を経て、一つの学園に合併したという背景がある。

 パテルは「父」、フィリウスは「子」、サンクトゥスは「精霊」をラテン語で示し、中世キリストの三位一体の教義を表す。三者は本質的に同一であり、三つの者が一つになることを示しているが、言うまでもなく本編中の分派は火花バチバチである。表面上は一つに合併しているが、本質的に同一か否かは疑問の残るところだ。あるいは同質の存在だが、同族嫌悪を隠せないといったところか。

 故に各派閥の生徒は腹に一物抱えており、火種さえあればすぐにでも関係が瓦解するような状態だ。身内ですらそんな危うい関係性を担保している状況なのに、長年睨み合っていたゲヘナと条約なんて結べるのだろうか……と、読み手としては勘繰りが発生する。

 第一回公会議でトリニティ吸収合併に反対し排除された「アリウス派」から狙い撃ちにされないワケがなく、アリウス派の描写が出る度に不安に駆られる。また、アリウスとは、イエスの神聖を否定し異端とされた歴史上の宗教の一派であり、背景が一致している。

 トリニティにはゲヘナを嫌悪する生徒ばかりで身内への牽制だけでも気が重いのに、アリウスの動向まで探らねばならず、更には歴史に残る条約の成否までその細い双肩にかかっているのだから、ナギサの心労は計り知れない。

 超人的な肉体と人外の容姿を持つキヴォトス住人は、一見なんでもこなせそうに思えてしまうが、本質的には等身大の少女であり、政を進めるには負担が大き過ぎる。事実、あらゆる組織の脅威に曝されたナギサは極端に視野が狭くなり、非人道的な手段に手を染めることに躊躇がなくなってしまっていた。ファンタジーな世界観にも関わらず、人物描写がとことん人間くさい。そんなギャップに同調せざるを得なかった。

 ここではナギサを例に挙げたが、他の登場人物も同様に各組織との対立関係によってキャラクターの外殻が形成されている。キャラ個人を動かして人物の掘り下げをするのではなく、対外的な要素によってキャラクターの構築を図っているのだ。

 登場人物同士の関係を構築し、キャラクターに深みを与える手法をキャラクターウェブと呼ぶが、エデン条約編では、そのウェブ(網目)が異常に細かい。一章ニ章とは比較にならないほどだ。また、複雑なウェブを矛盾なく構築しているため、キャラクターに生まれる深みが尋常ではなく、まるでそこに生きているかのような質感を生み出している。

 当然、ナギサだけでなく、他の登場人物に対してもキャラクターウェブの影響は大きい。読み終えた時には、えも言えぬ余韻に襲われ、脳裏には愛着の湧いたキャラで飽和していたことだろう。

 そこでライター陣の術中に陥っていることに気づいても時すでに遅し。コンテンツの生み出す世界観の虜になってしまっている。

②「推理パート」と「先生の形成」

 ブルアカはキャラクター鋳造が上手ければシナリオの構築も上手い。

 エデン条約編で特に新鮮だったのが、突然始まった推理パートだ。補習授業部より教授の依頼を受け、追試試験の合格を目指す。という穏やかな日常パートかと思いきや、部に集められた生徒らは、学園のトップから疑いをかけられたテロリストの被疑者で。実は先生に与えられた依頼は、シャーレの超法規的権限の利用を含んだ犯人探しだった。

この中から犯人を探せと言われる
勘弁してくれよな

 水着で徘徊する気狂い。ブラフかもと勘繰ってしまう男子中学生の心を持つ少女。既に学園内でテロを起こした前科有りのガスマスク。ブラックマーケットで知り合った思考の危ない女子生徒。もう前科ありのガスマスクが犯人じゃねえの?

 ここまで露骨だと逆にわかんねえよ。と、本音が漏れてしまうような急展開。もうこの時点で面白い。推理パートという新しい仕組みを導入し、読み手を飽きさせない。

 また、ここでも巧妙なキャラクターウェブの罠が隠されていることも忘れてはいけない。登場人物たちの青春描写も同時進行することで、ユーザの感情移入を巧みに誘引している。

 読み進めれば進めるほど、もう誰が犯人であろうと肯定したくなっている自分がいることに気づいたことだろう。明らかになっていく各部員の動機を知り、紛れていたテロリストさえ友情に絆される。そんな人間ドラマをありありと見せつけられ、その渦中に身を置く「先生」さえもキャラクターウェブに組み込まれていく。

 そう。エデン条約編では、先生すらもキャラクターの一人として、本格的な主張を始める。もちろん、これまでの章でも先生の為人は形成されてきた。しかし、エデン条約編を通したことで、先生はようやくキャラクターとしての体を完全に成せたのではないかと感じる。


 先生の第一印象は、娯楽にかまけるちょっと情けない大人、という感じだった。重責を任されたのにも関わらず娯楽に走り生徒には叱咤され、疲れたからとシロコに背負ってもらう。それでも窮地に立たされた時は矢面に立ち生徒の信頼に応える人情派。時たま見せる昼行燈な立ち振る舞いとは裏腹に成果はきっちりと残す。

 この程度の印象だった。が、エデン条約編を通して、先生は強固な人格を得た。

 生徒の願いには、倫理に反するものでなければ必ず応える。肯定する。生徒に疑いは持たない。大前提として全幅の信頼を置く。もし裏切られても、その時は間違いだと正せば良い。生徒から敵意を向けられても受け止める。その上で過ちを認めさせ、事の責任は全て背負う。

 清廉に過ぎる大人としての姿勢。自己犠牲にも似た生徒への献身。それが大人として当然の振る舞いだと信じて疑わない潔白な精神。エデン条約編を読み、なるほどこれが先生という一個の人間なのだ、と腑に落ちたユーザも少なくないのではと思う。

 また、キャラクターとしても魅力的だ。先生には重たい「死の二択」が課せられている。死の二択とは、主人公の目標に比例して肥大化する「失敗した時の代償」のことだ。死の二択のスケールが大きければ大きいほど読み手の興味を惹ける。

 先生の場合、単純に「キヴォトスが滅びる」ことが死の二択の代償だ。正確には、生徒を救う延長線上にキヴォトス崩壊の危機がある、という形だろう(先生の行動原理はあくまで生徒を救うことであって、世界を救うことではないため)。

 これほど重たい代償を背負った主人公が、自己犠牲にも似た献身で迷わず身を投げ出すのだから、読み手としては気が気ではない。故に先生の危うい行動を懸念し、それでも苦難を乗り越える姿に惚れるのだ。

 また、対立関係を最大限に活かすために必要なテクニックの一つとして「相互関係にある相手の弱点を攻撃し続けなければならない」というモノがあるが、先生の場合、生徒への自己犠牲にも似た献身という大きな弱点がそれを助長している。これにより先生を中心とする対立関係から不自然さが排されている点も見事という他ない。何せ先生の大きな弱点を狙って各人物が動くのだから、人工的なキャラ配置の気配は綺麗に淘汰されている。

 また、「大人のカード」や「シッテムの箱」という謎を抱えている点も読み手の興味を惹く一因となっているだろう。我々は、先生という存在のルーツを一切知らないのにも関わらず、その清廉な人間性に同調し、いつの間にか肯定しているのだ。

 それは先生が「理想的な先生像」を築いたおかげだろう。現実世界の教師と生徒との関係なんてものは(非難する意図はないが)、歪である。生徒間のいざこざには首を突っ込まず各人での解決を促そうとする。可愛い生徒には恩寵を与える。対して、そうではない生徒には無慈悲に振る舞う。だが、それは人間として当然の感情だ。評価には公私が融解し、各個体によって優先順位が生まれるのは、動物として正しい行動原理だろう。

 誤解を招きそうで怖いから明記しておくが、ここで言いたいのは私の人生を背景にした教師への非難ではない。伝えたいのは、「教師であろうとなかろうと人を平等に扱える人間はこの世に存在しない」ということだ。至極当然の事実だが、故に我々の心には「先生の理想像」が生まれる。それは普遍的で万人の心に共通する心理パターンだ(ユングの提唱する集合的無意識にも話は繋がるが、ここでは割愛)。

 とにかく重要なのは、先生のキャラクター性がその普遍的な心理パターンに結びついているということだ。

 簡単に言えば、「生徒に対して献身的で平等な先生が理想的だよな」といった万人に共通する無意識下の心理パターンを、先生が体現していることにある

 だから、先生のルーツを知らずとも、ユーザは先生に対して心を開き、感情移入ができるのだ。言い換えれば、エデン条約編を通したことで、より明確に意識できるようになった。

 エデン条約編は、先生の形成及びユーザとの同調も兼ねているのだ。


③共通するテーマは「救出劇」

 エデン条約編は対立関係によるいざこざや条約調印という厚い皮に覆われているため、テーマが隠れがちかもしれない。それでも俯瞰して見ると「救出劇」をテーマに据えていることが判る。

 これまでの章を振り返ると、共通して同じテーマが採用されているように思える。

一章→ホシノの救出劇
二章→アリスの救出劇
三章→アツコの救出劇

 確かに、「エデン条約編」と条約の呼称自体が主題に据えられているため、一見して調印の成否がテーマではと思える。が、条約関連についてはミクロな視点だ。キヴォトス世界で有力な学園間の条約調印と聞けばスケールこそ大きいが、対するアツコの救出劇は「キヴォトスの命運」というマクロな視点にかかってくる。学園間のトラブルと世界の命運となら比較するまでもないだろう。

 イメージとしては、シナリオの核に「アツコの救出劇」があり、その核を覆うようにしてエデン条約がある。ベアトリーチェの目的がエデン条約に繋がり、また、エデン条約を通してベアトリーチェという黒幕の対峙に繋がる。

 言わばエデン条約はパスの役割を果たしているのだ。何せベアトリーチェが目的に達してしまえば世界の破壊と創造が行われかねない。それを止めるためにはアツコを救出することが鍵となる。物語の収束先には必ずアツコの救出劇があるのだ。

 また、ひどく迂遠な道のりでベアトリーチェに辿り着いたことで、世界観の露出も行っている。ただ学園間のいざこざを描くのではなく、ユーザの持っている既存の疑問と突合できるような考察ポイントも設けているのだ。

 それはキヴォトスの外にある「色彩」だ。

 色彩に触れた者は神秘を反転、あるいは逆転させられ、恐怖に転じる。ベアトリーチェはそれを利用し、もう一段階上の存在に成ることが目的だった。また、学園都市というテーマを破壊し、新たに世界を創造することで支配者になろうとも考えていた。

 本来、色彩はどれだけの時間をかけてもキヴォトスを見つけられない筈だった。しかし、ベアトリーチェが楔となり、色彩はキヴォトスを見つけてしまった。やはり、この世界には「無名の司祭」や「色彩」といった概念的な上位存在がいることが示唆され、ますます世界観の謎が深まっていく。

 我々の観測するこの物語は一体なんなのだ、と強い興味が生まれ、対峙する相手が気の遠くなるくらい規模の大きな存在だと再認識させられる。だと言うのに、肝心の謎がなかなか紐解かれない。漠然と察することができる描写だけが点々と置かれるばかりで、もどかしい。

雰囲気で意味深なことを言うベアトリーチェ
雰囲気で重要そうなことを喋るベアトリーチェ

 だからユーザには世界観を読み取る欲求が生まれ、コンテンツから離れることが困難になっていくのだ。

 キャラクター、プロット、世界観。シナリオを形成する上で最も重要な三要素が高品質で構築されている。だからブルアカは面白い。エデン条約編は面白い。


聖園ミカという変数

①澱の中にある動機

 エデン条約編を語る上で避けて通ることのできない人物、それが聖園ミカだ。数多のユーザの脳を焼き切り狂わせた彼女について話さなければ、エデン条約編は終われない。

 ミカの何が魅力的だったのか。それは真の動機が覆い隠されていた点にある。

 血の気が多く口の悪い彼女だが、心根は限りなく善良だ。故に一番最初にあった彼女の動機は、アリウスとの和解だった。が、アリウスひいてはベアトリーチェの思惑により、いつの間にか動機がすり替わってしまう。アズサという架け橋をクーデターの契機としてしか見れなくなった。ゲヘナへの憎しみが先行し、エデン条約締結の阻止という新たな動機が生まれてしまった。果たして、彼女はアリウスとの和解という原初の目的を見失ってしまう

 ゲヘナを毛嫌いするミカの気持ちは本物だろう。いつの間にかすり替わっていたとはいえ、エデン条約の締結を阻止したかったことは本音に違いない。が、それ以上のことは望んでいなかった。

 箝口令が敷かれ、セイアの死という誤情報を受け取り、彼女は戻れなくなってしまった。クーデターを中途半端に終わらせることはできなくなった。無意識に引いていた一線を超えて見境すら失った。やがて彼女の手はティーパーティーの乗っ取りにまで及んだが、補習授業部によって阻止される。

 憎しみと善意を利用され原初の目的は見失った。友人を死に追いやった罪を原動力にして成す他なかった目的すら阻止された。言わば不完全燃焼で終わったミカの動機は、更に入れ替わる。それはサオリへの復讐だった。

 立場や友人を失う契機を齎したサオリも、同じ目に遭わなければならない、と。筋違いな思考だが、もはや憎しみを誰かにぶつける他なかった。自分すら見失ってしまった。

 アリウスとの和解(真の動機)を悠遠の彼方へ置き去りにして、友人を喪い、エデン条約は想定以上の被害をトリニティに齎し、クーデターの目的さえ達成できず。立場も信用も消えて自分の手許からは何もかも無くなった。だからもう、所持している誰かから奪うしかない。

 と、このように。ミカの動機は次々とすり替わり、生々しいと言っていいほどに人間くさい質感が生まれている。

 キャラクターを作る上で重要な要素の一つが動機だ。言うまでもなく、これがなければキャラクターを動かすことができない。仮に動かしたとしても、言動に一貫性が生まれずユーザとの同調は困難となる。故にキャラクターには、動機とその必要性を必ず設定しなければならない。

 現実に生きる人間であるならば、動機が曖昧だったり、考えがコロコロ変わったりなんてのは普通だ。しかし、それをシナリオに持ち込むのはかなり危険だと言っていい。

 結局、何がしたいのかわからないキャラクターに感情移入はできない。その前に疑念ばかりが先行して、キャラクターに対するユーザの信頼は失われてしまう。

 だが、この聖園ミカという少女。作中で動機が変化し続ける。そのせいで、一見して動機の行方がわからなくなりがちだ。結局、このキャラクターの真意は何なのか、と。なかなか伝わってこないのだが……それは巧妙に隠されていたことが終盤で判明する(サオリとの対峙で明かされた)。

 そう。ミカには明確な一本の芯(アリウスとの和解)が元々据えられていたことが判明するのだ。故に移り変わるその後の動機は、等身大の少女の懊悩として描いていただけに過ぎなかったのだ。そういう複雑怪奇な心理描写がユーザの心を鷲掴みにした。

②一線を画す聖園ミカのキャラ設計

 ここまで主に聖園ミカの動機について話してきた。真の動機はアリウスとの和解で、彼女はそれを見失ってしまったこと。また、変化し続ける動機によって人間然とした心理を巧みに描写したこと。

 そのキャラクター設計によって、ミカはシナリオの進行をこれでもかとかき乱した。結果、高品質な物語が生まれたワケなのだが……キャラクターに変化し続ける動機を与えるなんて普通は避ける。

 キャラクターには、必ず一つこれと決めた動機があって、それに基づく言動をさせる。シナリオに登場させる上でそれが最も理解を得やすく、感情移入も誘いやすい。何より一貫性が生まれるから、ユーザからの信頼も得られるし、キャラクターの言動とそれに伴う結果を腑に落とすことができる。

 だから動機やその必要性というのは、絶対にブレないよう定めておかなければならない


 対して、ミカには幾つもの動機を持たせ、真の動機は覆い隠している。他者(サオリ)から指摘されなければ本人さえ気づけないほどに。

 それによって、キャラクター設計のセオリーをまるで破壊しているかのように見せかけている。他の登場人物とは一線を画すキャラクター設計が、聖園ミカを新鮮に形作っているのだ。

 故に彼女の揺蕩う行動と行く末に魅せらた。明かされた真の動機に触れた時、一気に感情移入できた。脳を焼き切られて狂わされた。私も狂わされた。詫ッピ〜〜ッ⁉︎  ということだ。

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