なないろ

私立恵比寿中学の安本彩花さんが悪性リンパ腫の闘病から復帰した。自分が悪性リンパ腫であると診断された少し前にはすでに寛解されていて、病気について調べる中で自分と三つしか変わらないアイドルグループの子が自分と同じ病気で闘病していたと知って、なんとなくその後の動向を気にしていた。エビ中のことも、彼女のこともそれまではあまりよく知らなかったが、THE FIRST TAKEで復帰して抗がん剤による脱毛から髪が短くなった、ありのままの姿で「なないろ」という代表曲を歌っている姿を見て、自然と涙が出てきた。心から、本当によかった、と思った。

昨日、ニュース番組で彼女が闘病や病気のことについて語っていて、抱えていた悩みや、苦しみや、痛みが自分とまったく同じなのに、それらが快活に、明るく語られる様子を見て、すごいと思った。その中で「副作用よりも自分が世間から置いてけぼりにされているという感覚がつらかった」と言っていて、自分もその気持ちが痛いほどよくわかる。同世代の若者が、当たり前のように仕事をしたり、友人と遊んだり、恋をしたり、自分の場合はそこに音楽であったり、いろんな道を進んでいく中で、立ち止まっているだけならまだしも、がんによって、それらを当たり前にやることのハードルが上がってしまった。例えば、副作用による吐き気と味覚障害で何も食べられない中で、コンビニのパスタを3分の1食べることができただけで食べられて偉い、と褒められる。起き上がることさえできず、一日中ベッドで寝ていても、体を休められてよかった、となる。それは確かにすベて闘病において良いことなのだが、自分ががんによって仕事はおろか、ご飯を少し食べられただけで褒められるような状態にあるんだなと、普通に生活することさえ困難になってしまったことが位置付けられてしまう。副作用には波があるので、ずっとこうあるわけではないが、食事も取れず、時には歩くこともままならず、ふと鏡を見た時に抗がん剤によって髪が抜けた後の、産毛の生えかけた頭があると、まるで自分が赤子に戻ってしまったかのように思えてくる。社会復帰するまでが治療と言われているように、がんが治ったところで、仕事にうまく復帰できるかはわからないし、自分にはパートナーもいなければ、以前と同じようにステージで歌を歌ったりできるかどうかもわからない。それらにまた一つ一つ手を伸ばしていくのは、とても難しい所業のように思えてくる。この微妙な自意識が、時にとても苦しく思える時がある。それでも、安本さんも言っていたようにコロナ禍に闘病したことで、自分だけではなく大勢の人が望んだ通りの生活を送れているわけではない、ということが励みになった部分もある。

病院へ抗がん剤を投薬しに行くと、ホールのような広い部屋に等間隔で背中を預けられるような椅子が並んでいて、ある人は本を読んでいたり、スマホをいじっていたり、寝たりしながら、点滴を受けている人々がそこに座っている。すでに2回ほど受けたが、周りを見渡しても若い人は見たことがなく、ほとんどが年配だったり高齢の方だったりする。この場では、同じがん患者でも自分はアウェーのように感じる。自分はまだ、AYA世代と呼ばれているような、同世代の若くしてがんに罹患した人と出会ったことがない。ネットでそういった方の体験談などを読んでいてもどこか現実味がなく、だけど、安本彩花さんの口から語られる言葉はそれらとは違う響きを伴って響いてきた。それは、自分が形は違えどアイドルというものに親近感を持って接してきたこともあるのかもしれない。彼女の口から語られる言葉を聞いて、自分と同じ思いや、苦しみを本当の意味で共有できた気がした。

がんに完治という言葉は無く、病変や腫瘍が見られなくなった状態である寛解という言葉が正しい。寛解したから終わり、ということはなく、その後も再発の恐れがつきまとい、それを過ぎれば再発の確率が一気に下がるという5年後まで生存しているかどうかが一つの目標になる。抗がん剤は使える回数が決まっているので、再発すると治療方法が限られてくる。悪性リンパ腫は何十種類にも及ぶので、安本さんがどのタイプなのかはわからないが、日本で一番罹患者数が多く、標準治療が確率している「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」というものでも、”低リスク帯”の患者で5年後に生存しているのは75%程度。自分のかかっているタイプは、標準治療が定まっておらず、この数字よりももっと低い。きっとまだこれらの不安や苦しみの中にあるのかもしれないのに、それらを感じさせない彼女の明るさを見ていると自分もやられてばかりじゃいけない、と思えてくる。

「真夜中を」という曲を書いたとき、毎日朝の4時頃まで眠れず、何をすることもできず、ずっと同じ苦しみの中にいた。止まない雨はないとか、明けない夜はないというけれど、そんなことはなく、ずっと同じ雨に打たれている気がしたし、朝を迎えてもずっと同じ夜の中にいるような気がした。そこからどうにか抜け出そうとして、正社員になって、ちゃんと朝から勤めへ出るようになったり、環境を変えてみたり、いろんなことに足掻いたりしたが、うまく行かず、そんな中で追い討ちを描けるようにがんが発覚した。「あなたは何をすることもできない」と神さまから判を押されたようだった。また、あの頃と同じように朝方まで眠れず、結局あの時と同じ真夜中の中だ、と思う。抗がん剤はあと4クール残っていて、来週の月曜日にはまた苦しい一週間が始まる。まだ出口は見当たらず、その暗闇は深い。彼女の表現や歌を、闘病していた病気と結びつけたり、一つの物語として読んでしまうのは、よくないことかもしれない。でも、安本彩花さんが「陽のあたる場所で待ってるよ」と歌うのなら、自分もそこへ向かっていきたいと、彼女の陽の光のような、どこまでも伸びていきそうな歌声を聞いて、確かにそう思った。


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