今日も空には軽気球

病気が寛解してから半年とちょっとが経った。このnoteを見返すと、一年前の今頃はちょうど一回目の抗がん剤治療が始まったところで、一年後に自分がどうなっているのかもわからないような状況だったが、復職もして、以前と変わらないような生活を送れるようになってきた今、その時のことを振り返ると一年という時が経ったということの途方もなさをぼんやりと感じる。

治療中からわかりきっていたことではあるが、寛解したからといって、見えるものすべてがうつくしく感じるようになったり、人生の意味を見出せたわけでもなく、そこに訪れたのはより厳しい形となって現れた元の日常だった。それをいざ目の前にした時、自分の抱えているものや、ある種のみじめさのようなものに耐えられなくなり、それをなんとかやり過ごすことに精いっぱいだった。

朝、出社する前に鏡の前で髪をかき分けて、薄くなったままの頭頂部を隠していると、ふと、どうして今、自分はこんな状況に置かれているのだろうと思うことがある。それらは確かに病気や治療が残していった残穢でありながら、今の自分がこの自分であるということは、病気があってもなくてもあまり変わらなかったことのようにも思う。昔、読んだ織田作之助の「アド・バルーン」という小説の中にこんな一節がある。

「しかし今ふと考えてみると、私が現在のような人間になったのは、環境や境遇のせいではなかったような気もして来る。私という人間はどんな環境や境遇の中に育っても、結局今の自分にしか成れなかったのではないでしょうか。」

病気によってあらゆるものが失われていったわけではなく、病気によって手にすることができなかったものは、元の自分でも手にすることはできなかったのだろう。それらを諦念や絶望とは違う、もっと淡々としたものとして、自分の中で受け入れていく必要があるんだろうなと思う。自分のみじめさのようなものに耐えられなくなってしまうのは、こうでなかった自分という幻を夢見てしまうからだ。それらは病気を経て、少しずつわかってきたことで、オダサクほどからっと、湿度なくそのことを割り切れるわけではないが、それでも、今の自分に必要なのはやはり人生の意味とか、希望とか、それらと自分とを照らし合わせるよりも、今日という一日をただ生きていくという、どこかで聞いたような、ありふれた平凡さの中にその身を置いていくしかないということだった。

二ヶ月後にはまた血液検査があって、その次は十一月に寛解一年後のCT検査。完治に等しいと言われる四年半後には自分は三十一歳だ。今の自分にはそのことが途方もないことのように思える。残りの二十代を、やはり再発の恐怖に怯えながら、宙に浮いたように過ごしていくのだろうか。オードリーの若林さんがよく自らの二十代を二度と戻りたくないと口にするが、自分にとっても、この日々がいつか何かの過程であったと振り返られる日が来るのだろうか。今の自分にはどこかへ駆け出してゆけるほどの希望もないが、すべてを諦めるほどの絶望もない。昨日、退勤後の電車で聞いていた曲の中で、好きなアーティストが歌っていた。「人生の最高のものは不安の向こう側にある/誓うよ 嵐のあとのようにはっきり見えると」


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