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「あたりまえ」という言葉

世の中であたりまえといわれていることほど、続けることが難しい。

コロナ禍での昨今。今まであたりまえのように過ぎていた日々。仕事も遊びもあたりまえのようにできていた日々。変革の時代です。

何気ない日常にもあたりまえは沢山あります。

おはようという挨拶。悪いことをしない。ポイ捨てしない。ご飯を食べる、歩いて買い物にいく、テレビをリモコンでつける。あげれば本当に沢山あるけれど。これができているヒトは全て日常生活に適応できている証拠。

今の自分には全て出来て「あたりまえ」。でも、イライラしてる朝には挨拶もめんどくさいし、落ちているゴミをみてみないふりをしてやり過ごすし、急いでいるときは安全確認をした上で赤信号も渡ります。

でも、病気になればご飯を食べることも、歩くことも、リモコン操作も難しくなるかもしれない。

現実に、コロナ禍で今までのあたりまえの生活が大きく崩れているのはみなさん体験済みだと思います。

世の中で言われる「あたりまえ」は決して「あたりまえ」ではなく、努力しないと出来ないこともある。いまで言えばマスクの着用は典型的なあたりまえになりました。

あたりまえがあたりまえのようにできる人は、常に努力している結果、適応する能力を身につけている。努力の結果、あたりまえができる人になってるんです。

だから家族にも、友人にも、同僚にも決して「あたりまえ」という言葉は使わないようにしています。努力している人にとってそれはあたりまえではないから。

いちどあたりまえが崩れると、ヒトは適応するための努力が必要になります。あたりまえが溢れかえっていた世界。新しいあたりまえが一人一人の努力で積み重なっていくことに感謝。

http://greenroomadaptive.wordpress.com/

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