幽霊はここにいる ~ PARCO劇場
神山智洋が安部公房作品をやる! wow !! とても楽しみにしていた作品です。
原作をしっかり予習してGO。
難しかった、よくわからなかった、という声を聞いたので、私なりに消化したことを書いてみます。以下、ネタバレします。
幽霊が見えるという男・深川(神山)が、前科持ちの男・大庭(八嶋)と出会うところから話が始まります。
深川は生前の記憶がない幽霊の身元を探してあげるために死人の写真を買い集めようとしています。
この話をきいた大庭は、これをダシに一儲けしようと企みます。
この時点で、大庭は 幽霊の存在を (死者の霊)から(得体の知れない金儲けの道具)にそっとすり替えています。
そして すり替えられた後の(幽霊)に人々がわんさと群がってくる。(金儲けの道具)の魔力でしょう。
ですから 大庭をはじめとする有象無象の人々にとって 幽霊は 得体の知れないモノであり続けてくれるほうがありがたい。
だが、言い出しっぺの深川は違います。
彼にとっての幽霊は、戦場で生死を分かつことになってしまった(戦友の霊)なんです。 この戦争は 21世紀の戦争ではなく、100年前の戦争です。
戦友の実家も、親御さんも、今のようにぱぱっと検索すれば当たりをつけられる時代ではなく、死地をさまよった相方の顔と名前くらいしかわかんないわけです。だから 死者の写真を集めることで 戦友の身元を特定しようとしている。
深川にとっては、幽霊が現れたのは「オレを家に帰してくれ」と訴えられているようなものであり、生前どこの誰であったかをはっきりさせるべき存在なのです。
"どうやら、俺たちにとっての幽霊と深川さんの幽霊は違うものみたいだね"
さて大庭が仕組んだ ”幽霊話”は 人々の欲をうまく刺激してどんっどん話が大きくなります。
ところが、深川が 「幽霊も選挙に出たい、そのために大庭の娘と結婚する と言ってます」と言い出して、大庭計画は すんなりとは進まなくなる。
どうするどうする?他の女を当てがおう、などとドタバタしているうちに、(吉田)という女性が(深川)の母親だと名乗ってちょろちょろしはじめる。
この人も新手のカネ目当て?と一瞬思わされたりもしますが…..
ついに (本物の深川)が(深川)の前に現れます。
"幽霊はここにいるよ”
死んだと思っていた(本物の深川)が生きた人間として目の前に立った瞬間、(深川)の見ていた幽霊は 消え去ります。
それは 戦地でのトラウマが生んだ幻覚のようなもの、
自分のせいで戦友が死んだ….. という認識があまりにも辛く、生き残った吉田は 意識下で自分と深川をすり替えてしまったのです。
死んだと思っていた戦友がちゃんと元気に生きていると知った途端に、幻覚である(幽霊)は消滅しました。
そのことを知った、大庭たちは慌てます。
これまでの幽霊話がガラガラと崩壊してしまう。どうする?逃げる?
”さいしょっから幽霊なんかいやしないんでしょう?
だったら、つまり、これからも いることにしちゃえばいいんでしょう?”
かくして、この街の幽霊は存在し続けるのです…..
"幽霊はここにいる" というわけ
初演は昭和33年ですから終戦後8年経ったころの作品です。
そのときの深川役は『北の国から』で有名な 故・田中邦衛さん。
昭和45年の新版も 田中さんが演じられたそうです。
今回の上演は PARCO劇場では 43年ぶりだそうですね。
新たな戦火が燃える現代、豊かになったのはごく一部、誰もがカネに追われています。『幽霊はここにいる』が書かれたのは 60年以上前ですが 、現代にも通じる普遍性に貫かれている。
スタイリッシュで 同時に芯のある作品だと感じました。
深川と大庭の存在感は 作品の空気の要でしょう。
2人は(それぞれの幽霊)を劇場に提示し続けなければなりません。
口だけは達者な悪党だけど、陽気で ついつい ついつ〜ぃ巻き込まれてしまう八嶋智人さんの軽妙さは イマっぽくて とても楽しかった!
かたや 神山くんは、まだ少年のような生真面目さを残す復員兵。大庭のハキハキした娘さんに心惹かれていく可愛さもあり、暗くはないんですが、最後の軍帽をきちんとかぶって直立する姿は、戦争のトラウマに満ちていました。
私も、昔、会ったことのない血縁の男性が復員したときの話を よく 聞かされたのですが、その話と重なる姿でした。平和な時代のアイドルだからこそ、深川を演じる意義は大きいですね。。
期待以上の素晴らしい舞台でした。
https://stage.parco.jp/program/yuurei
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