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雑感 ー テクノクラート

先日、東京での会議の帰途の車中で友人から「日本の組織では技術者の地位が低い」と言われた。言われてみると、<技術者=スペシャリスト≒特定の分野に(のみ)精通した人>といった感覚で見られる傾向がある。それゆえ、全体を俯瞰した意思決定などは得手ではないと思われ、ゼネラリストと呼ばれる何でも屋がトップに君臨するケースが多いようだ。

霞が関ではこうした傾向が顕著であり、国家公務員採用試験で特定の技術系分野に合格し採用された時点で”技官”としての烙印を押されてしまう。そして一部の省庁を除いて、概ね技官の行きつく先にはガラスの天井があるようだ。つまり、組織の頂点に君臨する人の多くはゼネラリストである事務官が占めている。

1970年代にハーバード大学の経済学者であったガルブレイス教授が「新しい産業国家の中枢を担うのはテクノストラクチャと呼ばれる専門家集団である」と説いた。あれから半世紀を経て、欧米を始めアジアの多くの国でも、学位を有するテクノクラートの確約の場が大幅に拡大してきたが、わが国では依然としてその地位は抑えられたままである。

こうした現象を会社組織に置き換えれば、その弊害を身近に感じられる方も多いことだろう。例えば、法務部や経理部などといったスタッフ部門が現業部門を上回る発言力を持ち、とりわけ未経験の新規分野に何かと口出しされた、もしくは没にされたなどの苦い経験をお持ちの方もおられると思う。「浅い知識で何を偉そうに言ってるんのだ!」と心の中で毒づいた経験をお持ちのテクノクラートも多いと思う。

法務部=法務省、経理部=財務省と置き換えれば、会社組織と同じような構造は、霞が関にも色濃く存在しているようだ。"Top of Ministries"として君臨するこれら省庁には、いかに重要で価値ある政策であっても、その意思決定に容易に逆らうことは政治家をもってしても難しいと聞いている。

かつて韓国の行政安全部(日本の総務省に相当)で、韓国では各省だけでなく病院や学校などの公共的施設には必ず何人かの学位の取得者が存在し、多くの決定権限があら得られていると聞いたことがある。KLIDと呼ばれる韓国地域情報開発院(日本のJ-LISに近い組織)では学位取得者が300人以上おり、また大手病院を訪問した際にも、専門の情報工学博士によって電子化が進められてきたといった話を聞いた。いま思えば、韓国の知人のほぼ全員が博士号を持っていたことに改めて気づいた。まさにテクノクラートたちが主導している国であり、わが国との差をまじまじと感じさせられてしまう。

学位を持っていることがそんなに偉いのか?などと反発される向きも理解できるが、偉い偉くないという話ではなく、互いの専門性を尊重し活かしていくことこそ重要ではないかと思っている。テクノロジー全盛の今の時代にあっては、スペシャリストとゼネラリストが互いを尊重しつつ、連携していく姿勢ことこそ大切ではないだろうか。

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