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雑感-“政治とカネ”という爛れた関係

自民党一部議員(・・・と個人的には思いたいが)によるキックバック問題で政治への信頼は地に落ちてしまった。これは、単なる政治スキャンダルや政局問題として捉えるべきではなく、国家の存立基盤そのものを揺るがす極めて深刻な事態と受け止めるべきではないだろうか。なぜなら、国と国民は納税という行為によってつながっており、納税を行うことで国から社会的な保証が得られ、政治とは国と国民の関係を適正に維持するための唯一無二の存在だからである。だから、大半の国民が政治に不信感を抱けば、その瞬間に国は成り立たなくなってしまう。
OECDによる2023年の年次報告書によれば、平均して41.4%が政治を信頼していると回答しているなか、わが国は60%以上が信頼していないと回答している。これは、ロシアとの緊張関係に晒されているラトビアや、反政府デモの激化で治安の悪化が目立つコロンビアとほぼ同水準という結果である。

民主主義のお手本と言われているスウェーデンでは、1996年にモナ・サリーン事件という事件があった。これは、当時社会民主労働党書記長で次期首相の最有力候補だったモナ・サリーン氏が、90年から91年にかけて国会議員の公共クレジットカードを使ってわが子のおむつとチョコレートを買ったことが発覚したことで政界からの引退を余儀なくされ、彼女が10年以上積み上げてきたキャリアを一瞬にして失ってしまったという事件である。そもそもスウェーデンは1766年に制定された世界最古の情報公開法が存在し、安全保障などに関わる一部の国家機密を除く公的機関が保有するあらゆる情報を公開することが原則とされている。公開情報のなかには、政府や政治家の歳出・歳入に関する情報はもちろん、国民との間で取り交わした手紙・電子メールの類いも含まれていると言われている。
このように、政治の信頼性は、国民が政治を監視できる体制のもとで、政治家も自らの一挙手一投足が監視されていることを自覚した高い倫理観と節度ある行動によって成り立つものだろう。そう考えると、英国のジョンソン元首相が、コロナ禍の折に私的なパーティを開いた事実を隠したことで、嘘をついたとして首相の座を追われたことは健全な民主主義国家では当然の出来事だったと言える。
こうした民主主義のリファレンスモデルともいえる国の政治風景を見るにつけ、隠ぺいと言い逃れが常態化しているわが国の政治風土には絶望的な気分にさせられてしまう。政治資金パーティ収入による裏金問題では、(報道によってもたらされる数少ない情報だけを見ても)確実に違法行為に相当する内容が数多く含まれている。そもそも裏金が存在すること自体が違法性を意味し、収支報告書に記載を怠れば多額の追徴課税の対象にもなることは民間人であれば誰でも知っている常識である。
裏金疑惑としてやり玉に挙がっている政治家などは、自らの議員としての出処進退を真剣に考えるべきだろう。たとえ自身が関知しないなかで、自身の政治団体もしくは事務所の秘書などが行った行為であったとしても、代表者としての責任から逃れることはできない。議員辞職を願い出て一からやり直すだけの度量を示さない限り、国民の信頼は得られないだろう。少なくとも、スウェーデンなどの成熟した民主主義国家であれば、立件されようがされまいが、モナ・サリーン氏のように即刻議員資格ははく奪されるだろう。
野党は、企業・団体献金の禁止や”連座制”の導入などを含めた政治資金規正法改正を訴えているようだが、法律をいくら強化しても肝心の政治家倫理が確立されない限り同様の問題は生じる。少なくとも、このような不毛な政局論議を長々と国会で議論するべきではなく、まして政倫審に掛けるの掛けないのといった問題でもなく、単純に議員辞職を受理するか、辞職に応じない場合は資格をはく奪すれば事足りる問題ではないだろうか。それが国民からの負託を受けた者が当然具備すべき倫理観であり、政治家の矜持でもある。
今回やり玉に挙がっている政治家は、政治的影響力の極めて強い中枢を担う人材であり、そうした貴重な政治家が国会を去ることは国益に反するとの批判も当然想定されるが、逆にそれほどの政治的実力の持ち主であればいったん野に下っても、信頼を回復することで基盤をより強化し早い時期に正々堂々と返り咲けるはずである。

わが国には、「札束で頬を叩く」といった唾棄すべき穢れた言葉もあるが、いまだに政治の世界は金が権力の強度を表す試金石になっているようだ。知り合いの政策秘書のOBによれば、裏金の使途などはどのように追求したとしても永久に藪の中に消えることになると言われた。それが政治の世界の常識であり、裏金が流れる先には地方組織などを含めあまりに多くのステークホルダーが存在し、検察といえども容易には手が出せない仕組みになっているようだ。その点では、河井夫妻による選挙違反が露見したことは、偶然も重なった珍事でもあったようだ。
政治とカネ、まるで中世の封建社会をも連想させる前時代的な強固な政治風土は、今回の事件を通して有権者の政治意識が大きく目覚めるか、もしくは腐敗しきった政治を許容しつつ次第に日本が破綻の淵に向かって突き進んだ挙句暴動でも起きない限り続いていく問題なのかもしれない。

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