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おーい磯野、英文解釈しようぜ。 〜英文解釈(演習室)の魅力〜

英文解釈には癒しがある。
私を優しく赦す希望の光がある。

まず初めに、これはアスクの狼さんの以下のnote記事

https://note.com/askpub/n/nd750f52447c8

ブチギレチワワさんのブログ記事

https://anokoro-yokatta.hatenablog.com/entry/2022/01/30/155905

を受けての記事です。


大修館書店「英語教育」偶数月号に連載されている「英文解釈演習室」がアツい。課題文をそれぞれに訳してB5用紙に打ち出して郵送すると採点され、次の回で成績発表、解説がある。基本、それが全てだ。


2021年の夏も終わろうという頃、アスクの狼さんから連絡があった。「いまもりあがってるから、大修館『英語教育』の英文解釈演習室に参加しない?課題を訳して郵送するだけ。参加費なんと無料のエンタメよ。」
なんという誘い文句だろう。『サザエさん』のナカジマくん並みの軽やかさである。おーい磯野、野球しようぜ。


たしかに私は大学で英語を専攻していたがまあなんていうか本当にそれだけで、21世紀最初の10年間を育児に、次の10年間を介護に費やした。さて介護も終わってどう生きるか?と思ったところでコロナ禍にぶち当たり呆然としていたところだった。よく分からないまま大きな本屋に行って『英語教育』とリーダーズ英和中辞典を買い(学生時代に買った古いやつしか持っていなかった)、ひとつやってみるかと訳し始めて愕然とした。日本語には直せるような気がするのに何を言ってるのか全然伝わらない訳文が出来上がるのだ。


そもそもこの課題文に出てくる映画がどんなものなのか分からない(10月号課題文)。とりあえずググった。単語をつなげただけではどう考えてもわけわからん訳文が出来上がる。とりあえずまたググった。Twitterを開いた。なんだかよく分からないが沈めるの沈めないのと物騒な呟きが見える。どうすりゃいいんだ。


締切日の深夜にポツポツ訳文が晒されると「感想戦」が始まる。自分の訳文は、解釈はどうなんだと静かなざわつきが湧き上がる。他の人たちの訳文がただただ素晴らしく、自分のものはとんでもなくお粗末なものであるように感じられる。なぜ他の人たちはこんなに分かりやすく、訳者の人となりが浮かび上がってくるような魅力的な文が書けるのだろう。解釈とはそもそも何なんだ。同じ英文を読んだはずなのに生まれてくる訳文はそれぞれに違った名文ではないか。


あっという間に夢中になった。年齢も経歴も様々な人たちがせいぜい300語くらいの英文に向かって辞書を何冊も広げたり原文を探したり関係書籍を入手したりしてそれぞれに唸りながら訳文を生み出していくのだ。その上出来上がったものを自由に読むことができ、最高に素晴らしいことには採点までしてもらえる。まさにそれは「参加費なんと無料のエンタメ」以外の何ものでもないと思った。別に何かに合格するためでも、進級や卒業のためでもなく、何かを知りたいと思ってただ取り組むことが許される場なのだ。勘違いや誤訳があったらぎいぎい悔しがってまた取り組めばいい。本当にそれだけ。


21世紀が始まって20年余り、私は「ただ知りたいから調べる」楽しみを忘れていた。何かを知らなければ危機に陥る、または当然得られるはずのものを得られない、主にそういった焦りが私に何かを調べさせていた。少し大袈裟かもしれないが英文解釈演習室は私に調べることの楽しさ、言語を学ぶ時に感じる高揚感を思い出させてくれたのである。

英文解釈には癒しがある。
私にただ「知らないから調べる」ことを許し、知るという希望を与えてくれる。
まあそんなエモ味過剰なことを言っているとごく基礎的な文法事項を見誤って足元を掬われることになるのだが、それを間一髪で避けることをスリリングな楽しみと感じる程度には私は英文解釈にハマっている。

だから、磯野、英文解釈しようぜ。私の中のナカジマは皆さんを誘いに出かけようとしているところだ。

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