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あなたの見えているものは、他の人が見えているものではない

私の仕事は、Webサイトの制作やシステムの構築をしていたりします。
またその体験を通して得たものを、大学で教えていたりします。

その仕事をしてきたところで「見えている」とはどういうことなのかを考えることがあります。

例えば、学生にWebサイトのデザインデータを渡して、そのデザインの通りに構築をさせる課題を出した時の事です。
学生は課題に出したデザインと比べて、数ピクセルのズレがあるものを提出してきたりします。
技術的に未熟なところは否めませんが、真面目にやっているのはわかるので、デザインデータを「見てはいる」が、大事なところが「見えていない」だなと感じます。

仕事でも、システムのテストをしていてバグを見つける時に感じます。
私を含め、制作者は、ユーザーの使い方を想定して作っていても、そういったバグを見落とします。
想定している箇所でのミスもありますが、多くは、想定を仕切れていなかったところで、起きると感じます。


自身が見ているものは、自身の観点で見ている。


例に挙げた内容で言えることは、「観点」が育っていない、もしくは想定がしきれていない、と考えます。
知識として足りないところは増やしていけばいいのですが、いろいろな人の見えているものを理解することが大切に感じます。
また、理解する上では逆説的ですが、「見えていないものがある」という観点があると良いように思います。

例えば、自分が見えているものが正解ではなく、とことん、疑うことで見えるものがあります。

「こんなふうに使う人はいないか?」
「初めての人が見た場合にこんなにスムーズに行くだろうか?」
「文字で理解できるが、色によって誤解を与えないであろうか?」
「よく見るとわかるが、見落としやすいデザインになっていないか?」
「慣れていないと間違った手順や誤操作を起こしやすくなるようになっていないか?」


観点については、自身のもつ経験や知識によっても変わっていくのは、上述したとおりですが、ユーザーのことを知らなければ、最初は見えないものだと思います。
ユーザーを知る上では、そのタイプや心理、捉え方を持ち、ユーザーの使用する範囲の広げていければと考えます。


見れば見るほど見えなくなる


Webサイトやシステムという製品をチェックしていて、失敗に陥る要因として「慣れ」があります。
自身がその製品に詳しければ詳しいほど、正解の手順が分かっているだけに、初めて使う人の感覚が分かりにくくなることがあります。
見れば見るほど、使えば使うほど、初めて使う人の見え方が分かりにくくなるようになると考えます。


今ある常識も変わっていく

また、今ある常識は時代と共に変わります。使う人がしてきた体験も変わっていっています。
ユーザー体験を考える上では、ユーザーテストやインタビューなどを通して、自身の考えをアップデートしていきたいですね。

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