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Dance in the island ~ 周防大島に生きる(3)

農家になる。

そう思って東京での仕事をやめて周防大島に引越ししてきたのが2013年。農業一本で生きていくと思ったものの、この島で世話になっている方から「現金収入を確保しろ」という主旨のことを言われて、しばらくは抵抗しつつ「そうかなー」とも思いながら自分にできる仕事を考えた。農業以外に、農業にプラスしてできる仕事、自分がしたいことって何だろう?

ラジオの仕事をやめてもやっぱりラジオは好きだったからずっと聴いてて「ラジオっていいなぁ」と思ったり、流れた音楽に感動して「今のところ自分だったらどんな選曲したかな」などと意味のないことを考えてみたりすることもあって。周防大島からFMラジオ局のある山口市まで片道100キロ、約2時間の移動は現実的なのかどうか、ただただ大変そうとは思ったけど、週1本の番組制作の仕事を得てラジオが副業になった。2015年の暮れのこと。そこからはじめた半農半ラジオ。

ラジオ局やテレビ局というのはそもそもその地域の県庁所在地であったり最も栄えた街に所在していて、働く人もその周辺に生活している人たち。どんなに田舎であってもその地域の都市部みたいなところで起きている事象のひとつのような気がしていた。そこにその地域のすんごい田舎から出掛けて行ってラジオ番組をつくる。その意味はすごく大きいんじゃないかと思った。中山間地域に暮らしている人間の感覚というか、日頃会話する人たちのことだったり、見ている景色、肌に触れるもの(風や湿度や温度とか?)、そういうものを反映した選曲や話題がその地域(県域)の人にとってもよいものになるんじゃないかなと。やりながらの手ごたえもなくはなかった。

2018年、周防大島に事件が起きた。いろいろと話題の多い一年ではあったけれども、島と本土をつなぐ橋に船舶が衝突して橋が壊れた。橋の下に渡された水道管が破断して一ヶ月以上にも及ぶ断水と橋の通行止め。片側交互通行で島の外と中を行き来することはできたけど、風速5メートル以上の風が吹くと通行止めっていうのに何度も泣かされた。仕事を飛ばした日もあったし。感覚的には周防大島以外の山口県民には対岸の火事というか他人事みたいな雰囲気しかなかったけど、「今日三浦さん来れない」という事件が起きてはじめてエフエム山口の人たちにとっても自分事になったような。共感度が増幅していったような気がする。

で、周防大島の特番つくろうやって話になった(のだと思う)。

それは断水だけじゃなくて、その年に周防大島で起きた事件をあれこれ振り返りながら、一ヶ月間の断水でダメージを受けた観光業を応援するような番組をつくるよう依頼を受けた。断水も含むけど、という幕の内弁当的な企画書を見た社長がわざわざやってきて「こんなつまらん番組作らなくていい」「周防大島に住んどるラジオディレクターがおって、周防大島に住んどる中村さんと一緒につくる意味のある番組にしなさいよ」と。泣けた。

「Dance in the island ~ 周防大島に生きる」

断水ダジャレだけど、「dance」には「生きる」という意味もあるような気がした。今辞書を引いたら「心臓・血液などが躍動(鼓動)する」という意味があるから、ある意味で「生きる」は間違ってなかったと思う。そもそもは珍しいキノコ舞踊団の「私が踊るとき(2010年)」を見てから「踊る」ことと「暮らす」ことは同義だなとか、生活の中にもっと自然と踊りがあってもいいなとか、日本人もっと踊ろうよ!など感じていたのもあった。

「Dance in the island ~ 周防大島に生きる」というラジオ番組をつくった。2019年1月2日放送の第一回は「断水と橋の不通」がテーマ。断水中の一ヶ月以上、島の中を走り回っていろんな人のいろんな話を聞いた中村明珍の印象に残ってる話、のちに役立ちそうな話を再録するような形でインタビューしてまとめていった。せまいエリアで起きたことをひとつのテーマで番組にするというドキュメンタリーはラジオマン人生の中ではじめてのことだったかもしれない。

中山間地域に暮らす人間がラジオ番組をつくる意義は感じていたけど、周防大島にラジオディレクターが住んでいたことの意味が生れたと思えたし、自分の移住そのものの意味が運命とも必然とも感じられる仕事だった。

「Dance in the island ~ 周防大島に生きる(2)」この番組には運良く2年目があった。2019年12月31日放送の第二回は「移住と生業」がテーマ。「田舎に暮らしたい!けど仕事はどうする?」この憧れとためらいはよく聞く話で。実際に移住した人、その中でも特に自分で自分の仕事をつくってしまった人に話を聴いた。

周防大島で生まれ育ち広島で十数年働いたのちにUターン。民宿と食事の提供を主にワークショップやイベントを仕掛ける「せとうちつなぐキッチン 郷の家」の白鳥さんは海への愛に溢れていた。宇部の小野湖畔で有名なピザ屋さんサルワーレの梅田さんも海が好きでいつか海の見えるところにお店を持ちたいという夢を叶え「海が見える薪窯料理レストラン サルワーレ」をオープン。岩国市出身で理学療法士として病院に勤務していた末弘さんは独立して「暮らし支援サービスnetto(ねっと)」を立ち上げた。周防大島ではもちろん、全国的にも需要がありそうな遠距離介護をサポートするような仕事で、これまでも必要とされながら、ありそうでなかったサービスを生み出した。もうひとりは僕ら農家の先輩・先生といってもいい小林さん。おじいさんの土地を引き継ぎ鶏舎を立て、なるべく自然に近い形で鶏を育て鶏卵を販売している。そのほかお米づくりや、野菜づくり、自分でできることは何でもする人。そんな人たちに話を聴いたのが第二回。

ちなみに小林さんは僕自身の周防大島移住のきっかけのひとつになった人で。移住前に訪ねて話を聞いた時は移住8年と言っていて、自分も明珍も今年移住8年。あのころの小林さんのようにはなれないもんだなーとあきれる。小林さんが移住当時を振り返り「無収入だったけど、生きてる実感があった」という言葉は胸に刺さったし、2020年を生きる人みんなに届けたい言葉でもある。

エフエム山口のページにアーカイブを残しているのでお時間あれば是非。(タイトル未設定ってね。上が前半、下が後半のはず。)

そして、第三弾!が今シーズン!「Dance in the island ~ 周防大島に生きる(3)」2021年1月1日午後4時から放送のテーマは「島育ち」「島っ子」。周防大島の中学校で起きたひとつの事件、とある中学生の発明を伝えたいというところから企画ははじまったのだけど。島育ちの子どもたちに抱くステレオタイプのイメージ「純粋」とか「のびのび」とか「素直」とか。単純に何もないから不便そうでかわいそうとか、自然に囲まれてうらやましいとか。外からのイメージと本人たちが思っていることのギャップとか話を聞いてみた。島で暮らす中学三年生、島を出て山口市で暮らす大学二年生、この春島に戻ったばかりの社会人一年生。移住定住を語るインタビュー記事のほとんどはその意思決定をした世帯主、いわゆるお父さんだったりするので、これまで拾われることのなかった世代の言葉を集めた田舎暮らしインタビュー集である。地域づくりの主役は今の大人ではなくて、今後この世代の子たちがこの地域に暮らしたいと思える場所であるかが重要という意味においても気合の入る聞き取りの日々。その話はある意味思ってた通りだったり、意外な話だったり。これまでも編集作業や完パケ作業で涙を流してきたど、今回が最大の涙量。涙腺壊れたんじゃないかと思う一週間を過ごした。

是非聴いてほしい。その日その時いそがしいという人もラジコなら一週間はさかのぼって聴けるのと、ラジコプレミアムなら山口県外に居ても聴くことができるので、今年は帰省しませんよーという周防大島出身のみなさんも、いつも周防大島に思いを寄せてくれているみなさんも、是非聴いてほしい。

で、今回ははじめて製作員会方式をとりました。製作委員会ってなんじゃ?という話ですが、最近の映画でクラウドファンディングでなんとかっていうあの感じです。いわゆる大きな企業がドーンとお金を払ってスポンサーになるのではなく、企画に賛同してくれた人たちから少しずつ(とはいえそれなりの金額ですが)ご協力をいただいて制作費を集めました。お金の話ではありますが、お気持ちを頂戴したという面がより大きく、制作過程での励みになりました。一週間という短い期間でお声がけができた範囲だけなので、今回漏れてしまった人には申し訳なく思っています。この話をはじめたときからとてもいいものになりそうな気がして、自分も明珍もここに名を連ねたいと一口ずつ協賛しています。噂を聞いて「うちも」と言ってくれた人が居たのもとてもうれしかったです。

【Dance in the island 製作委員会】 アースデイ周防大島、石鍋亭、うみとそらのたまご舎、海を眺める石窯料理レストラン~サルワーレ、株式会社浦上商店、大内バラ園、オオシマアコースティック、大森農園、カクバリズム、KASAHARA HONEY、KiliKiliVilla、暮らし支援サービスnetto(ねっと)、クレスト・オブ・ザ・ウェイブ 立岩、株式会社くろき建築工房、COFFEEコナwith FINE FOODS、株式会社三光電気工業所、g-drop、せとうちつなぐキッチン~郷の家、瀬戸内タカノスファーム、野の畑みやた農園、みらいガーデンファーム、森川農園、寄り道バザール、龍神乃鹽 (あいうえお順)

「Dance in the island ~ 周防大島に生きる」

心躍る島だな、周防大島は。と若い子たちの声を聴いて思った。あとづけだけど「Dance in the island ~ 周防大島に生きる」いいタイトルだったなと思う。

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