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「みんなの婚活」始めました!

「婚活」って何でしょうか?

独身者の結婚相手探しを「婚活」と呼んでいます。でも、そもそも、「結婚」はゴールではありません。スタートなのかもしれないけど、それは正確ではなく、当事者2人の人生におけるチェックポイントのひとつ。別々だった2人の人生が重なり合って、ひとつになっていく。その節目。

別々だった2つの「流れ」がひとつの「流れ」になる。そこに置かれる「ゲート」のようなもの。

前のステージから次のステージに移るタイミング。それを意識づけるために、その契約に誠実であることを「内外」に示すために「誓い」を立てることを特に「結婚式」でやっているんだと思います。イニシエーションという言葉もありますが、それはまたおいおい…。

入籍をすること、結婚式をすることだけが「結婚」ではありません。「結婚生活」という言葉があるように、「結婚」とは新たに生まれた夫婦関係そのものではないでしょうか。

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なんのために「結婚」をするのか

ではなんのために結婚をするのか。新しい家族をつくるため。

ではなんのために新しく家族をつくるのか。子どもを授かって次世代に託すため。

現代は色々な考え方があって、色々な選択肢があります。それを否定することはしませんが…

長い長い、宇宙の歴史、生命の歴史…

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、今も続いている、「生命」のリレー。それを「ヒト」という種が行うにあたって、現代で採用している方法のひとつ。それが「結婚」の中核的な意味だと考えています。

思春期に前後して異性への関心が身体的変化とともに芽生えて、性欲を持て余し、恋愛をとおして関心と衝動を混ぜ合わせていくこと。少し大人になって、交際をとおして相手を伴侶とした将来を想像すること。ときにはうまくいかないこと。

それもきっと、「生物」として自然なこと。「文学的」な色合いがあるところが、ヒトの特徴…でしょうか?

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結婚しないこと、子どもを授からないこと

では、結婚しないことや結婚しても子どもを授からないことが「生物」として「劣等」ということでしょうか…

「ヒト」以外の生物であればそうかもしれない。でも、「ヒト」は、「人」はそうじゃない。

「ヒト」の「生命」のリレーは、DNA情報のリレーだけじゃない。

個別の存在を認識し合い、影響し合うことができる生き物だから。

「保育」も「教育」も「児童福祉」も、まず、第一に、それが故に揺るがない存在意義があると思います。

「母」と「父」以外の「存在」も、次の走者に託される。「内在化」するということ。

たとえ、結婚をしていなくてもできる「子育て」はあるし、子どもがいなくてもできる「子育て」もある。


独身のある小学校教師が、教え子の女子児童に「先生のお嫁さんになる!」と言われます。その女子児童は、おそらく将来、どこかで部分的にでも、その小学校教師「的な」ところがある男性と結ばれるかもしれません。もしくは、その先生の影響で「教師」になり、「母」になるかもしれません。

ある、塾講師とピアノ講師の夫婦がいますが、彼らには子どもがいません。それでも、教室である自宅には毎日、何人もの子どもが出入りしています。彼らは大勢の子どもたちの人生に関与しています。小さく、断片的な影響かもしれませんが、その影響力は総じて、一般家庭で実の子どもに与える影響力を上回っているはずです。

私が関わった児童養護施設の事務員さんのうち2人は、子どものいない既婚女性と未婚の男性ですが、どちらも、現場の職員さんを支えることで、傷ついた子どもたちを「育てる」だけでなく「癒す」ことにも助力しています。

私は父親として、自分の父親の影響を色濃く受けています。それでも、私が洋酒や外車に関心があるのは、間違いなく、叔父の影響です。ワインとBMWを愛した叔父は、結婚こそしませんでしたが、私に影響を与え、その私が息子に影響を与えています。

みんなの婚活

そう。

間接的にでも、「子ども」に関わることは、次世代の存在に「貢献」することです。

先の例を見て、その影響力が決して小さいものではなく、時には実親をも凌駕してしまうことがあることもご理解頂けると思います。

「子ども」の「育ち」が彼らを「大人」にして、その「大人」が「結婚」をして、次世代の「子ども」に続きます。


そこでは「不適切な関り」をすることもできます。虐待やマルトリートメントと呼ばれるもので、私が最大関心事のひとつですが、ここではこれらが、「生命」のリレーに対する「負の貢献」であるとだけ述べるにとどめておきます。

要するに…

未婚者がパートナーを探すことだけが「結婚」のための「活動」ではない

ということです。

親が子どもを育てることも、子ども自身が成長していくことも、

子どものいない大人が、他の「子育て」に助力することも、

「子ども」に関わる仕事をしている大人の「仕事ぶり」も、

「次世代」の形成に関与するという意味で、

「生命」のリレーの一部であるという意味で、

「婚活」と呼ぶこともできるのではないかということです。

だから、私は、

我々大人ができる次世代への「貢献」を、

次世代を生み、彼らをまた次の世代に続くように育むことを、

また、そのためにできることを、

誰もができることを総じて、

「みんなの婚活」と呼ぶことにしました。

「みんなの婚活」始めました。

「みんなの婚活」始めました。

「あなたの婚活」。一緒に考えます。

何を望むか、何ができるか、何をするか…。

お力になれるところがいくつもあると思います。

是非、一緒に、考えませんか?お待ちしています。

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