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すべてはみこころのままに~/ひろこ

こんばんは。ひろこです。
いつもありがとうございます。

聖書にイエスがいよいよ十字架にかけられる直前に

わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください。

マタイによる福音書第26章39節

と祈ったという記述があります。
有名な「ゲッセマネの祈り」です。

コースに出会う以前に聖書に触れる機会があった私は,この
「私の思いのままにではなく、あなたのみこころのままに~」
というフレーズがとても大好きでした。

いろいろ思う所はあるけれど、不安もいっぱいあるけれど、こうなって欲しいと願う思いもあるけれど、でも私が願う結末ではなく、あなたのみこころのままになさってください。
そう思ったとき、心がスッと軽くなるのを感じ、今でもよく心に浮かんできます。

年初から取り組んでいるワークブックは今復習期間で

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである

奇跡講座下巻W-p1.復習Ⅳ 中央アート出版社

が中心的なテーマとあります。

以前愛さんに「天国から離れて」の一節の中で、イエスがヘレンさんに、
「もしあなたが私に何をすべきかを教えてくだされば、私はそれをすることを意志します」
という祈りを
「もしあなたが私に何をすべきかを教えてくだされば、私はそれだけをすることを意志します」
という祈りに変えなさいと指示している部分を紹介していただいたことがあります。

これを聞いてから、朝の祈りの中にこの言葉を取り入れることにしたのですが、最初は「それだけをする」という言葉にすごく抵抗を感じました。
とても制限されていて、窮屈で、逃げ出したくなるような感覚です。

それでも無理やりのように、とりあえず言葉を並べるだけでしたが、その朝の祈りを続けていくうちに、そもそも私には神に反してまでもやりたいことなんかないんだという気持ちになってきました。

そして、「それだけを意志します」と決断した心に、その決断をホーリースピリットに委ねた心に、神に反してやりたいことなど、心に浮かんでくることもないんだという思いに変わってきました。

すると自分の思いのひとつひとつをジャッジすることもなくなって、自分と無駄な葛藤をすることもなくなり、安心していられるようになってきました。

私の心の中にあるのは、私が神と共に考えている思いだけである。
この想念とともに5分間を過ごすだけでいい。
それだけで、その日が、神が定めた道筋にそったものとなり、あなたがその日に受け取るすべての想念を神の心に一任することになる。

奇跡講座下巻 W-p1復習Ⅳ intro:5-3~4

まずは朝一番に心を合わせること。
そして日中モヤモヤとした気持ちになることもあるし、どのようにとらえ、どのように進んだらいいのかを迷う時もまだまだあります。
でもそんな時に、そのモヤモヤを長続きさせず、「すべてはみこころのままに~」と、すっと神に心を合わせ、心を正すことを忘れずにこれからも続けていきたいと思います。


最後までお読みくださりありがとうございました。

ひろこ

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