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私たちは、神ご自身を父にもつ聖なる神の子です。

こんばんは。ひろこです。
今年もいよいよ今日で終わりですね。
でも今年はどんな年だっただろうかと振り返ることはしないで、ただ目の前だけを見て、新しい年を迎えたいなと感じています。

その前に、ブログを書くにあたって、この12月に感じたこと、受け取ったことだけをシェアさせてください。

この12月は愛さんのオンラインサロンのSonshipの皆さんと1ヶ月のコミットメントをさせていただく機会があり、私は愛さんがYouTubeで紹介してくださった「ハスの花のお祈り」がとても心に深く刺さったので、1ヶ月間このお祈りに心を合わせることにしました。

朝晩心を合わせて祈っていく中で、このお祈りと共に心が開かれて、光が大きく大きく広がっていくのが感じられました。

「真の自己を受け入れることを阻むあらゆる疑念、不信、暗闇の考えにあなたの聖なる光を当ててください」

その箇所では、以前香咲さんが、「そういった暗闇の考えが出てきたら銀のお盆に乗せてホーリースピリットに差し出す」といったようなお話をされていたことが思い出され、何かモヤっとするたびにそっとその上に乗せるように祈りました。

まず感じたのは、今までの歩みは、エゴの部分を直視しなければ~と(それはとても大切なことなのですが)まずはしっかりくっついたエゴを、更に「エゴがある‼」と強力に実在化させてから、ホーリースピリットにお願いして、ベリベリと引きはがしていたようなイメージに感じられました。

エゴと完全に一体化していた私には仕方のなかったことだったのかもしれません。
でもふっとお盆に乗せるだけで、実はそれは小気味よく消えていくのだということに気づかされました。
エゴをしっかり実在化してから手放そうとするのではなく、そんなものはないのだと、軽く手放せばよかったんだと思いました。

こうして、何日か心地の良い日々を過ごしていたのですが、薄皮一枚一枚剥いでいくうちに、だんだん心の底に重たいものを感じるようになってきました。

小気味よく剥がしていっていたのに、古くて硬くなったガムが半身にくっついて剥がれない…そんな映像がずっと脳裏にこびり付いています。
お盆に乗せようにも強力にこびりついているようで、引きはがすと皮膚までめくれそうな気がします。

怖れだろうとは思うものの、なんだかもやもやしたままよくわかりません。
ホーリースピリットに手放せるよう助けてくださいと祈ってもすっきりしません。
そのうち、それはこびり付いているのではなく、自分が握りしめているのだとわかりました。

半身にこびりついたガムという映像から、脳裏に浮かぶのは、そのガムを強く握りしめて、もう指の開き方もわからない~というより開けたくないのかもしれないそんな自分の手でした。

「心の階段を下りる瞑想ワーク」を愛さんからシェアしていただいたのもこの頃でした。

早速やってみたのですが、最後の最後まで下りて行って扉を開いたのですが、そこは暗くて、紫のドット柄のような弱い光がほのかに点滅しているような、そんなものが見えました。
これは何ですか?とホーリースピリットに尋ね、しばらく瞑想していましたが、そのときはよくわからず、すっきりとしないまま終わってしまいました。

そんなとき、ある兄弟から祈りの輪へのお声がかかりました。
その瞬間に「私のための祈りでもある」と思いました。
見えている形はそれぞれ違っても、兄弟姉妹と共に超えていかなければならないのだなと感じたのです。

皆さんと一緒にお祈りをしていく中で
「自分は罪深い」
「愛に背を向けて逃げ出したい」
そんな感情が深く深くまだ眠っていることに気がつきました。
ずいぶん手放してきたつもりだったけれど、まだまだずっしりと心の奥に残っています。

そして兄弟の中にキリストを見るということができなければ、自分は罪人だという思いは消えないのだということも、あらためて確認する機会となりました。

そのあと、みなさんが祈りのシェアをしてくださって、それぞれに癒されていらっしゃるのを伺って、また自分を責める気持ちが湧いてきました。

自分はその深く眠っている心に気づき、ホーリースピリットに差し出したつもりだけれど、進む方向性はわかったけれど、全然癒されたという感じではないなぁ。
このまま年を越すのはいやだなぁ。
ブログのお当番にもあたっているけれど、なんだかすっきりしない気持ちで何を書けばいいのかわからないなぁと…

そして、もういちど「心の階段を下りる瞑想ワーク」やってみたのです。

今度は扉を開けたとたん、白と金の光のような綿のような温かく柔らかな触感も感じるようなものにふぁ~っと包まれました。

「あるがままでいい」

それはどこか懐かしい~という言葉が適切かどうかわからないのだけれど、すでに以前何度か受け取ったことのある感覚でした。

「あぁそうだった、この場所だった」

そんな感じがしました。

何度も何度も教えてくださっていたんだ。
そして受け取ってはいたけれど、またすぐに懐疑的になって、自我と同一視している自分、慣れ親しんだ自分に戻っていたんだ。
エゴの判断で、自分を貶めて…

もう自分を貶めることはしたくありません。

「私たちは、神ご自身を父にもつ聖なる神の子です。
このことを思い出すなら、全世界は自由になります。
私たちは、神ご自身を父にもつ聖なる神の子です。
このことを思い出すなら、天と地はひとつになります。」

いつも思い出していたいです。
すべての人の中にキリストを見ることができるようになりたいです。

このことをもう一度胸にきざんで、新しい年を迎えたいと思います。

いつも共にいてくださってありがとうございます。
どうぞ良いお年をお迎えください。



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