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後悔か、安堵か。

今の自分をどう客観視しているか。

まー、駄目だろう。

同世代、同年代、近しい環境下に居る方々。
どこと比べても正直劣っている。しかも完璧なまでにだ。
かの吉田豪氏が言っていた。

「サブカルとは自意識過剰だ」

と。
自分では思ってはいないがたまにサブカル側の人間としての対応を受ける。嫌な気はしないしむしろ多少の高揚感はある。
サブカルやヲタクとは自らの世界観に所謂一般レベルよりも浸る事の多い人種だとざっくり思っている。
人によってその深さも違うし当然ジャンルも異なる。
知識が浅いからと言ってマウントを取ることもしないし、それぞれで良しと思っている。
多少思うことはあっても口や態度にはだしません。
所詮、自分はそれくらいのステージ。

古着や古物。アングラなバンドやアイドル。闇社会や風俗絡みなんかに人より若干興味がある程度だと自負している。

そう、究極でも無知でもないのが我が人生である。これにふと悩まされる時がある。
友人にも好きなこと、ものを生業としている連中もいる。または早くから家族、家庭を築き地に足をつけ現実ときちんと向き合っているマイホームパパ・ママもいる。

そう。何を隠そう私はどちらもなし得ていないのである。一般の仕事をしているちょっと趣味思考に癖がある程度の立ち位置(体感)。
四十路こいてこれはヤバいバルダンスだろうと🕶

後悔か安堵かは答えが出ない。多少の苦労や絶望はあったもののなんとも卒なくこなしてきている。

母一人子一人の母子家庭に生まれ、幼稚園に通う頃から祖母や叔母に預けられ、大工一鉄の祖父に毎日赤提灯に連れ回される日常。
これは悪いイメージではなく、単に孫が可愛くて周囲に見せて回りたかったのでしょう。

小学生にもなると所謂カギっ子。
学校が終われば独りで帰り、独りで修学後の予定を立てて何かしらしている。17時台日テレのアニメ再放送を観るもよし。友人宅へ遊びに行くもよし。
ドラクエのレベル上げにいそしく励むも良しである。
中学〜高校と基本こんな生活が日々である。
部活、アルバイトなどの嗜好行事がプラスαされる程度。
我が地元は北関東に位置する。90年代〜00年代なんざぁ不良も当然ウジャウジャいた。
カラーギャングを気取ってみたり、集会と言う名のヤ◯ザへなケツモチ代を徴収する定例会があったり、当然暴走族なんかも。
不良になり得る条件をこれまでかと言うほど持ち合わせていたにも関わらず自分はアウトローとは無縁な10代を送ってしまった。
音楽やバンドに取り憑かれ、そんなアウトロー界隈との関わりを断絶してしまっていた。

「良く息子さんはグレずに育ったね」

なんて事も親は言われていたらしい。が、、、

正直ただただちょっと先の楽しみのために生きてきたようなもので、特にやさグレたり、多少の悪さもしたが警察にお世話になるほどのことはない。
気持ちや趣味嗜好はサブカル寄りのまま止まっている。自分の時間を好きなだけ自分に使ってしまったような気がする。
始末が悪いのは今現在もそのスピリットのままであるに違わない。

たまに聞く。
昔は悪かったが今はすっかりいいパパ、ママ。
昔は悪かったが今はすっかり働き者。
昔は悪かったが今はすっかりいい人。

不良と言ってもロッカーズ型の不良になり得た自分はどちらかといえば精神論。
いわゆる世間の不良とは他人に迷惑をかけたり世にいう悪事を働くこと。
当然後者になることは良くないし許され難い事。
しかし、時を経るとそちらの方が美談として評価されてないか?
それだけでなく、人としてガチに更生して真面目になっとる奴も多々いないか?
家族や生業を見つけて人生を着実に歩む連中も見かけるぞ。

そんなん聞いてない!
自分はギリギリの線で反社会との関係をなんとなくかわして来たし、大人になれば自ずと大事なものや生業を見つけて豊かな人生を送るものかと思っていた。毎朝スーツを着ている予定だったし、ある意味つまらない人生に生きがいを覚えるような人間であると信じていた。

話は冒頭に戻る。
なんも得てしていないのである。

考え方には2つ有る。
・とびきった人生においての大事件、大事故などなく、裕福とまでではなかったが卒なく生きてこれている。

・若い頃、尖っている頃に流れのままに勢いで突っ走り、後悔、挫折を経て成人になり得るころには社会と混血する。

正直、答えは分からない。

多少の苦労はあるが、基本的には自身の好きなこと、ものだけに執着し続けて無理矢理にでもありのまま生きてきてしまっている。
この状況を危機と感じる事も増えてきた。
本当に自分はサブカル側の人間で、思想は偏り、日の当たる場所が憎たらしくて仕方ない。
あの頃のままである。
楽しく自由に生きてそうと思われがちだが、行きづらくて仕方ない。
独りの時間を器用に生きてしまったが故の幼少期の弊害がここへ来て発作的に開花している。

昔は散々遊んでいたが今は家族が一番大事。
愛する妻と子供に囲まれ人生を全うしたい。
今は成功して社会に恩返しを。

なんて輩はオレは死んでも納得できないのである。

自由を作って生きてきた訳である。
ホントに自由を自由に使ってきた人間が後に幸福を得るなんて話がうまく行き過ぎている。
この思想に自分のヤバさを感じている。

もはやなんの話か分からなくなってきたが、、、

人間的に生き過ぎたことに後悔している。
なんせ、思想が大人になっても大して変わらん。
生きづらく、付かず離れず的な感覚が
同時に自分を捨てることなくここまで来れた事には少し安堵している。
しかし、道を少し外れて、大袈裟な武勇伝をツラツラと話せるような人生も若干羨ましく思う。正当な形でなくともチヤホヤされたかったのではないかと自らを考察する。

結果、男40にして
「オレは所謂メンヘラってやつではないか、、、」

とも最近感じている所存。
こうやって一生モヤモヤしながら生きていかなければならない事も分かっている。
一方で毎日何かしらの奇跡との遭遇を期待している感がある。
だからこそ毎日、毎月、毎年どうにか生きてられている。
そして何より身体が健康だ。標準体型、中性脂肪なんかは立派な数値。
健康、メンヘラ、金無とは地獄とも言える。










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