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定義

事柄には全てにおいて
「好き。嫌い。」
「カッコいい。カッコ悪い。」
「可愛い。可愛くない。」
「要る。要らない。」
など、各々の判断で意識的に分別作業をするもの。
「どっちでもいい。」
という最強のカードも頻繁に投入されますが、今回は◯か✕かのお話。

この2択は生きていく上でもしかしたら最重要項目ではないか、というくらい人生を左右します。
生まれながらに持ち合わせる感覚と、生きてきた中での自らの経験からなる好み。
時に人や物との別れ、または出会いを生み、共存や孤独を余儀なくされる場面も。

さて当の本人でありますが、非常にこの2択に左右されてしまっている人生かなと自負します。

「好きは好き。嫌いは嫌い。」と割にはっきりと2分化して物事を捉えがちです。
正直、半世紀近く生きてきて、この2択は間を取るくらいが円滑に人生を回していける。
その答えには薄っすらと気づいておる所存です。

しかし、しかしです。

どうしても間を取っておいてそのまま放置できない性格な様であります。
事柄にはよりますが、琴線に触れる様な事柄に関してはどうしてもはっきりとどちらかに振り切らないと気がすまない性格で。。。

これにより交友関係は先細り。
トライ・アンド・エラーをマストに強いられたり。
趣味嗜好は偏り。
視野は狭まります。
判断基準も経年と共にマニュアル化(マイルール)され、もはや自分勝手の領域。

良く言えば「ブレない。芯がある。」
悪くいえば「わがまま。融通が効かない。」

それと同時に、物事をフラットに捉えられる人達と対峙すると羨ましくも思います。
やはり対応は軽快ですし爽やかです。

ああなりたい。爽やかに人と対峙したい。

言わば無い物ねだり😓

インタビューや読み物。名言や金言。
自らの経験や体験から導き出す定義。
自分の中の定義として最も重要視しているのが、

カッコいいか、カッコよくないか。

音楽や服装選びは勿論、食べ物、飲み物、人付き合いまでも大凡この定義のもとで回します。

言葉では中々言い表わせない感覚なのですが、全てにおいてルックスの問題ではなく、あくまで僕がカッコいいと思うか思わないかでの判断となってしまいます。

例えば服装選びでいえば、TPOはほぼ無視です。
そのモノが自分のアンテナに引っ掛かれば欲しい。
よくある持ち服とのローテーションなどもほぼ無視です。
単品でみて、自分のカッコ良さの琴線に触れたらそのモノが欲しくなります。
上下の合わせなども買ってから考えるのでただただ服は増えていきます。
自分勝手な定義やルールに従って判断するのでクローゼットも偏りがち。

その他の事柄も全てにおいて同じような感覚で選択します。
なので偏りがち。
人付き合いは特に人生を左右するでしょう。

折衝な話。
無関心の人に関しては、知人扱い枠の駒がただ増えるという事の必要性を全く感じない。
逆に嫌いな人は1人、2人いるくらいがありがたい事もあります。
文句と悪口をエネルギーに替えている自分としては、友人との酒の場でのつまみ話や怒りによるエナジー補給には最適な訳です。
まぁ最低な理屈ですし🙇、精神衛生上の良し悪しはわかり得ないですが。
スパイス。スパイス。

逆にカッコいいと思える人に対しては興味も深く湧きますし、仲良くなりたいとストレートに感じます。
バチッとハマれば仲良くなるのも早いです。

カッコいい人か、かっこ悪い人か。
上記にも綴った通り、ルックスの話ではなくその人の持つセンスやルーツ。感覚や振る舞いなど。
あくまでこちらの主観となりますが、この選択に自信がないとなにも生まれません。

自信を持って自分の定義を貫く。
自らを疑いながらも答えを導き出す。
性に合わない付き合いを数多くをするよりは、孤独ではあるが余計なストレスはありません。
緩い付き合いを長時間するよりも、ふんどしを締めに締めた状態での短時間。
僕は後者の方が向いているようですし、このレールに乗ったほうが脱線しずらい車体であるようです。

ここまでくると仕方ない。。。

今から180度起動変更はしんどいし、無理して間を取る行為は自分の定義に反してしまう。
はて、生きづらい(笑)

カッコいいもカッコ悪いも人それぞれ。

消して自分の定義を押し付ける事は致しませんのでご安心を。
陰口は叩くかもしれませんが耳に届く事は決してないと思われます🤫
自分と肌違いでも迷惑はかけないのもマイルール。

来世は感情を持たない「物体」としての生まれ変わりの希望を閻魔大王に提出しようと決めてます。

今日も偏ったルールで服を着替えて、飯を食い、息を吸いながら生きてます。
カッコいいものだけを信じるしかないのです。


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