病める教員たち〜同僚性の揺らぎ〜

私の身近に、精神的に辛くなって、学校に行けず、休職してしまった教員がいる。鬱やPTSDとまで診断されなくとも、適応障害によって学校に行くことができなくなっている。さまざまなストレスが原因だと考えられるが、復職にはなかなかの関門が用意されている。実際、私の知り合いには、復職をあきらめて退職した方もいれば、復帰プログラムがキツく、なかなかスタートできない方もいる。復帰プログラムは、当該学校で行わなければならないので、休職の引き金となった事案が、保護者や子どもに関わる場合はなんとかなるのだか、同僚や管理職との関係性の問題である場合は、相手がいる近くでの復帰プログラムとなるので、苦しみがある。特定の相手がある場合、その人がいなければ大丈夫だが、その人がいれば、その人の車があれば駐車場に入れないほどのストレスとなる。教員には転勤という環境を変える手立てがあるが、復帰プログラムを終えなければ、異動もできないので、環境を変えることもできない。休むことになったのには、少なからず本人の問題があるのだから、がまんして、一定の努力をしなさいということか。ここにも、非論理的な昔ながらのシステムが残っているのかと感じてしまう。
復帰プログラムには、こういったシステム上の問題があるが、それはさておき。
考えたいのは、なぜ、休まなければならなかったのか、ということだ。子どもとの関係性や指導上の問題であれば、教育職の特性上のことだから、理解できる。基本的に先生になる人はマジメだし、その時のタイミングや教師としての成長過程、学びの中で、つまずき、大きく悩むことも理解できる。しかし、保護者との関わりや、同僚とのトラブルでは、休職はありえない、あってはならない。そういうことを回避できる手段こそ、同僚性であるはずである。
保護者とうまくいかなかったり、何かクレームがあり、困った時には、悩みを誰かと共有することが有効だ。決して一人で解決しようとせず、同僚に語り、学校というチームで解決する。なかなか悩みを打ち明けられない人も多いので、そこを話しやすいように、あるいは汲みとれるように気をつけていける環境を作ろうとすることが同僚性だ。さらに、同僚とのトラブルや管理職とのトラブルなど、話にならない。パワハラやモラハラが何かと話題になったり、教員による教員へのイジメがニュースになり、実はよくあることだと話題にもなったが、おかしな話なのだ。教育の場は、昔から続く大企業ではない。努力を積み重ねて成果を上げる中小企業でもない。徒弟制度の厳しい世界でもない。人間を育てるところだ。人権教育をもとに社会でのルールを教えるところだ。休職者が出るような不具合が起こることが、いかに違和感のあることか。私達は、同僚性を考え直さなくてはならない。同僚性が本物かどうかは、①こどもの話が飛び交うか②意識して話題を共有しているか③先生方それぞれの特性が活かされているかで判断できる。先生方が、呼び捨てであったり、あだ名で呼びあったり、仲良しこよしになっていないか。成熟したピアグループではなく、それぞれが好きなことをするギャンググループや同じ感覚の者たちが妙に集まり暗黙のうちに他を排除するチャムグループになっていないだろうか。一部のものが飲み会などで盛り上がってはいないだろうか。
この同僚性が揺らいでいたら、まずそこを立て直す事が必要であり、それこそ働き方改革のベースであると思う。

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