合理的配慮〜先生の資質が問われている〜

「平成元年12月2日 北海道新聞朝刊の記事」
(電子版では、「学びeye」で見ることが可能)

十勝の中学生の事例が載っている。
読み書き障害は、わかりにくく、誤解されやすい。決定的に、苦手なところがあるのに、そこが努力不足だとして、叱責され、訓練を強いられる。代替のツールや違う学び方で解決できるのに、皆と同じ方法で、努力させられる。これは、もはや、先生によるイジメだと思う。それにより、子どもが不登校になったなら、犯罪に等しい。
こういった先生方の(学校の)無知や学びの足りなさは、実に多い。そして、それを素直に認められないことも多い。保護者に突っ込まれるとクレーマー扱いさえする。先生方や学校が忙しいのはわかる。でも、自分の中で、何を大事に考えるかという優先順位の問題でもある。学びの優先度が低いのなら、先生を辞めた方がいい。何も、学者のように金と時間をかけて学べとは言わない。せめて、ちゃんと理解してほしい。理解するとは、自分との違いを明確にすることだ。多様性を認めることだ。先生としての基本であろう。
先生や学校の無知や無理解が、どれだけ当人や保護者を苦しめているか、考えなければならない。人生を左右するほどの一大事だということを肝に銘じなければならない。
読み書き障害のようなLDは、解決の方法があるのだ。代替ツールは、視力が低い人のメガネのようなものだ。精神的に安定すれば、パフォーマンスもあがる。学び方は、一人一人異なるものだ。そういうことを見つけるのが大人の責任だ。そういう環境を作ろうとすることが合理的配慮をするということだ。合理的配慮を英語でいうと「reasonable accommodation〜当たり前の調節」となる。気持ちだけではなく、何かをすることだ。精神論や根性論はもういらない。論理的な思考が必要なのだ。
さらに、この当人と保護者は、受験期にさらなる闘いを強いられる。現在、読み書き障害で受験の配慮が認められた事例がない。認めてもらうために、行政や様々な機関と連携を取らなくてはならない。こういった親子を決して孤立させてはならない。先生方も学校も行政も、みんなで応援していくのが筋だと思う。先生方には、多様性を認め、新しいものに遭遇した時に対処できる能力が求められている。今がその変化の時である。
先日、東京女子学園中学校(東京都港区)は、来年2月1日・2日午後に実施する算数1科目入試を「スマホ持ち込みOK入試」として実施すると発表した。
算数の受験者がスマホを持ち込み(学校側でもタブレット貸与の準備あり)、検索機能、アプリによる計算機能、図書資料などを自由に使って解答する試験を行うとのことだ。
受験の合理的配慮とは、少し話が異なるが、受験の在り方そのものを問うものである。時代は、動くものなのだ。

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