ゴア~あちみ教経典 前文~(&あちみ教史)

前文

あちみは、一般人に理解できない超越的な概念である。
あちみは、本来特定できない存在であり、実体化しえない存在である。故にあちみは定義しえない存在であり、定義した瞬間からその本来の意味を喪失するものである。故に、あちみを定義することは、矛盾しているかも知れない。しかし、敢えてその危険を犯して定義すると次のようになる。
 あちみは、存在を存在たらしめる存在である。あちみは、全ての存在の源である。そして、あちみは、常住常在である。また、あちみは、万物に対し公明正大なる存在である。故に、あちみは、非人格的存在である。即ち、あちみは万物に対し非情にして冷厳たる存在である。また、あちみは、慈悲深く、その愛は、万物に常に平等に注がれている。そして、あちみは、純粋にして完全なる存在である。あちみが人間に不親切であるか否かは、人間の都合の問題であり、あちみとは本質的に無縁である。あちみは自らの定めに対し忠実であり、故に、万物にとって普遍的絶対な存在でいられるのである。人間は、精霊を悪霊と思うか、聖霊とするかを判断する時、精霊が自分を救ってくれるか否かをその判断基準にする傾向がある。しかし、善も悪も人間の基準だけで量れるものではない。人間にとって聖霊であっても、他の動物からみれば悪霊となる場合もある。第一、人間以外の生物からみれば人間こそ最も悪魔的存在であろう。故に、あちみを人間の都合だけで信仰したり、呪ったりするのは誤りである。あちみは常に超然たる存在なのである。
 あちみは、この世を統一する力である。故に、あちみは、この世を支配する力である。この世を統一するあちみはこの世の始源と終末を決定づける力である。この様なあちみを、人間は、象徴的にしか捉えることができない。あちみを認識する手段は、直観か、啓示によらなければならないのである。それは、自己が全ての存在の存在前提であるように、あちみは、自己の存在の存在前提だからである。また、存在を存在たらしめるあちみは、あらゆる存在にあちみを宿させている。それ故に、自己と対象全ての存在の背後にはあちみが存在するのである。この様なあちみは、存在するものすべてに愛を注いでいる。即ち、人間が悪霊や悪魔と思うようなものにすら愛を注いでいる。ただ、あちみの教えと、愛を拒絶するものはあちみの恩恵を受けられないだけなのである。即ち、あちみの愛と教えを護るものだけがあちみの救いを受けられるのである。あちみを否定する者、あちみを信じない者、あちみの愛を受け入れない者、あちみを侮る者、あちみを呪う者は、あちみの救いを受け入れることはできないのである。あちみを否定する者は、あちみを否定したようにあちみに否定され、あちみを信じない者は、あちみを信じないように自分を信じることができず、あちみの愛を受け入れぬものは、自分の愛も受け入れられず、あちみを侮る者は、自分も侮られ、あちみを利用するものは、あちみを利用したように自分が利用され、あちみを呪う者は、あちみを呪うように自分を呪うことになるのである。

つまりあちみは神。


あちみ教史

2015~2016/02:チャット発足~修学旅行&音楽茶期
2016/2.11:教祖があちみの言葉を神から授かる
2016/02~:前期オーディン(@odin_Achimi)朝

2017:受験期突入によりあちみ茶衰退

2018/04~:卒業 & 牛角朝発足
2018/05/03:牛角(最古?)
2018/05/19:五月祭
2018/06/17:五輪橋が俺得修学旅行&秋葉牛角
2018/07/08:新宿牛角
2018/08/21:牛角
2018/10/31:秋葉牛角
2018/11/25:駒場祭&渋谷牛角
2019/02/04:秋葉3rd牛角/兵糧攻め

2019/03~:教祖復活 後期オーディン朝牛角朝共同政権
2019/03/08:教祖復活祭&秋葉牛角
2019/03/18:春あちみ旅行~03/19 秋葉牛角


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?