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僕の中の「おばあちゃんの痛み」を抱えて、僕は自由を体現していく。

友人の勧めで、イモトケイタロウさんという方のブログを読みました。

その中で猛烈に響いてしまった言葉がこちら

ペルーで受けたシャーマンの儀式を通して僕が学んだ一番のことは、僕らのおじいちゃん・おばあちゃんの世代が第2次世界大戦で経験した苦しみ・悲しみ・飢え・怒りの深さです。
その体験の記憶は僕のDNAに刻み込まれているらしく、儀式中にそのDNAがアクティベートされて、おじいちゃんが戦時中に経験したあらゆるネガティブな記憶が僕の意識化に蘇ってきたのです。

この言葉をみた時に、僕の中にも誰かの痛みや体験が刻み込まれているような感覚が呼び起こされました。真っ先に思い浮かぶのは、僕のおばあちゃん。

僕のおばあちゃんは、今年の7月で87才。戦時中に生まれた気の強い方。そんなおばあちゃんは、学校で勉強したかったけどできなかった。英語がすきで英文科にいきたかったけど、「あんたみたいな気の強い子が学問なんてしたら、嫁にもらってもらえない」と大学にいくことを許されず、19才でお見合結婚をすることに。

「学びたいことを学ぶ」という自由はなかった。休学しながた旅をして、世界を知るなんていうモラトリアムすら体験できなかった。家族の影響、はたまた社会的な流れによって、令和の世の中で当たり前にある「自由」がない。そんな痛みを抱えて生きてきたんじゃないかなと思っています。

そんなおばあちゃんは、孫の僕に「自由」をもたらすべく、人生を捧げてくれました。資本主義の世の中においては、これ以上ないくらい。お金で困ったことは一度もなく、中高一貫から私立の大学至るまで、最高の教育をもたらしてくれました。もちろん家も広いし休暇もバカンスにいける。大学まで野球というお金がかかるスポーツを続けることもできました。おかげでありったけの選択肢を持てています。学問の世界にいさせてくれたからこそ、エリートの道を選ぶこともできるし、いろんなものを手放してヒッピーのように生きることもできる。実家があるから、お金に困ったら変えればしいし、だからこそ働かなくても暮らすことも正直できる。

「自由」な選択を取れなかった痛みを抱えて、一人の孫があり余る選択肢を持てるように、全身全霊をかけて今も生き抜いています。

しかし、おばあちゃんがしてくれた事による痛みを、僕はたくさん抱えていると思っています。社会の中で「いいこ」として過ごしすぎたがために、物事の判断基準が「いいこ」かどうかになってしまい、「悪い子」になるのは死を意味するくらい。すぐに「やったほうがいいこと」ばかりやるので、「素直に生きていいたい」と思う僕の願いを満たすことが難しすぎて困っています。時には「こんな教育を受けさせたから、こうなってしまったんだ」と思ってしまう時があるくらい。

でも、おばあちゃんはとてつもなく大きい痛みを抱えて、生きてきた。そして僕に全身全霊を捧げてくれた。おばあちゃんの世界の中で最大限の願いを叶えるために生きてきた。その痛みは僕の中に間違いなく刻み込まれているんだと感じる。おばあちゃんが抱えていた痛みを乗り越えたからこそ、僕の痛みが生まれている。

長い進化のプロセスの中で、「自由」は進化している。いろんな痛みを乗り越えて、また乗り越える。だから、僕の使命は、おばあちゃんの痛みと共に、僕が今感じてる痛みを乗り越えていくこと。僕にしか体現できない「自由」が必ずあるんじゃないかと思っています。長い変化のプロセスの中では、「やりたいことができてない」なんていうチープな悩みはこれっぽっちのもの。僕にしか体現できない「自由」を、僕の生き様を通して表現していく。「自由」のプロセスを通して、「宇田川」の名でつながるDNAを感じれば感じるほど、ますます「宇田川」の姓に誇りを感じます。その流れに置いてくれた宇田川の方々に感謝の気持ちを込めて、生きていきます。

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