初めての網膜剥離(1)発覚から入院まで

2020年夏、誕生日を迎えた7日後、左眼の網膜剥離で初めての入院、硝子体手術(白内障手術含む)をしました。自分にとってとても貴重な、そして忘れられない経験を記録しておきたいと思います。

手術して5か月が経とうとしていますが、現在も左右の見え方に大きく差があり眼鏡が合わず元の視界ではありません。手術後半年から1年をかけてゆっくり回復していくのだそうです。

今回noteに残そうと思ったのは、網膜剥離であると診断された時からネットで検索してたくさんの方々の経験談を読むことができ、知ることができたことで不安が和らぎ気持ちが落ち着いて、本当に救われたから。

そして看護師さんから言われた、

「是非、インターネットで広めてください」

という言葉を真に受けたから。

たまたま見てくれた方の気持ちが少しでも落ち着いてくれれば、そして網膜剥離になった人のひとりとして、周りからは分からない見え方、感じ方を伝えられればいいなと思います。

最終更新 2021年1月7日 記事追加

発覚したときのこと(2018年秋)

私は小さい時から眼鏡。右眼は近視、左眼は近視と乱視。裸眼では両目ともに0.04~0.07ぐらいです。

仕事はPCを使うデザインやものづくりの仕事です。入社して20年近くたちますが眼精疲労のような症状は職業病なのかだいぶ前からありました。眼痛だったり、目の端に光が走ったり(光視症)、酷い時は閃輝暗点が出てきて片頭痛があったり。あと昔から飛蚊症も見えていました。白い壁や晴れた日の空は細かい黒い点々があちこちに見えていましたが、光視症と合わせて調べても後部硝子体剥離という症状がヒットしたので大したことないと思っていたし、見え方自体が変わっていたわけではないので気にせずにいました。

眼科へ行くきっかけは、2018年秋の始まりのこと。ずっとペーパードライバーだったのですが、これからの生活上必要性を感じて車を購入。いよいよ運転を始めしばらくたった頃、不慣れなせいか見え方にも神経質になってしまったんですねえ。

眼鏡が合わなくなったのか視力が落ちているような感じがしたり、夜の運転で暗さに慣れず見えにくかったり、対向車のライトが眩しくてつらかったり。雨の夜間なんでまー見えない。一番こわかったのは晴れた日のトンネル。入った途端真っ暗で見えない。(長いトンネルだとだんだん慣れてくるのですが、運転初心者そもそもそんなトンネルを通過するような場所へ行かないですしw)

そんなんで軽い気持ちで受診した家から近い新しい眼科へ。

多分疲れ眼の目薬かビタミンAでも摂っておけと言われて終わるのかなーと思っていたんですが、実際言われたのは、

「あ~、網膜剥離してますねー(軽)」

はい?

「左眼の上の方。だから下の方が欠けてると思いますよ」

まったく、わかんないんですけど?(自覚症状なし)

とりいそぎ剥離はその病院では対応できないので総合病院へ紹介状をもって行ってください、と。

※ ※ ※

よく聞く体験談では、「一刻も早く行ってください!なるべく歩かないで!」とか「すぐに手術だから今日のうちに行って!」とか大変な緊急事態になるのかと思いきや、私の場合はとってものんびりしたものでした(笑)

実は網膜剥離の話をした後に若干神妙になった先生、

「実はね、ちょっと右眼が緑内障っぽい症状もあるんですよね」

はい?(2回目)

先生的には右眼の方が問題だなーという顔で。見せてもらった眼底写真も何が違うのかさっぱりわかりません。

何回も言います。まったく自覚ないです。

※ ※ ※

帰宅した後、母へ連絡。あまりにも現実味がなく笑って報告しましたら笑いごとじゃないとめちゃくちゃ叱られました。両眼見えなくなったらどうすんの!ていや待って、手術すれば治るからね!左眼は!右眼は目薬治療でどうにかなるでしょ、とおさめましたが、母なりに心配してくれてたんだなと。ごめんなさいね。ありがとね。

※ ※ ※

2週間後、総合病院へ。ここの眼科先生、関西弁の明るい先生で診てもらうとちょっと半笑い(のように聞こえたw)で
「うん、まぁ剥がれてるっちゃ剥がれてるね。グッと下を見ると黒くなってるように見えると思うんだけど、患者さんが自覚ないのに手術はできないよねー」と不安を和らげてくれるように言ってくれました。診断は裂孔原性網膜剥離。眼球内の硝子体が縮んで網膜を引っ張ることで破け剥がれてきている一般的な症状です。場所も最初の先生と同じく左眼上前側。

すぐに剥がれてくるようでもなさそうだし、経過観察でということに。見え方が変わってきたら教えてね、と。手術はいずれはすることになるだろうと言われた上で、この時は放免されました。

※ ※ ※

網膜剥離と一言で言っても個人差があってその症状は様々だと知りました。よく聞くレーザー治療の話は一ミリも出なかったです。

そして生活の上で気を付けることも特に言われませんでした。剥がれるときは黙ってたって剥がれるらしいです。実際思い当たることは何もありませんでした

※ ※ ※

総合病院を後にした私の心境。

どうせ手術になるんなら剥がれるまでやりたいことやろう!

まるで余命宣告されたような(笑)それくらいその時は衝撃的だったんです。折角車も買ったんです。中古だけど。せめて3年、いや2年持てばいい。その間に車をちゃんと運転できるようになりたい。

半ば自棄。そして2019年は行きたいところへ行く!やりたいと思ったことをはじめる!と、1月から旅行、ライブに行きまくり、会いたい人たちにも逢いに行きました。前々から興味を持っていた合気道を習い始めたのもこの時です。

友人達にも話をしました。みんな一様に目の前で手をひらひらさせて「見えてる?」って聞いてくるのが面白かったです。合気道やっていいのか?とも言われたんですが、怪我をしない、無理をしない(させない)という考えもあったので、そのあたりは大丈夫だった気もします。(受け身が下手で頭を打ちそうで怖かったけど)

ただやっぱり夜が怖かった。これは網膜剥離関係ないらしいですが。運転も友人を隣に乗せる時には夕方までに帰宅したり、オーバーグラス(眩しさ軽減の夜用グラス)をかけるのが恥ずかしかったり。ライブに行く時は夜は見えないので腕をつかませてもらったりしてました。

2020年春

日本中でコロナの影響が広がり、自粛ムードの中。合気道の稽古もそこそこになっていて、なかなか行けない中、ちょっと異変を感じたのがこのころです。

普通にまっすぐ見ていると変わらないのですが、仰向けに寝ると少し下側(頬側)が暗いような気がしてきました。

経過観察で一か月に一度見てもらうのでそのことを話してみると、異常は見えないですね、とのこと。

毎晩寝るときに右眼を隠して天井を見る日々が続きます。で、自分で解釈したのは

「頭を上げているとき(起きているとき)は眼球の中で硝子体が前の方へ来ていて網膜を押し付けているから見えるけど、寝ると硝子体が重力で下がって網膜も浮くのかもしれない」

素人なりにこの感覚を納得しようとしていました。

2020年7月

それはふとした時だった気がします。なんか見えにくい。前髪がかかって見えないような。そして右眼を隠してみると左の鼻側がちょっと暗い?あれ?と思って天井を見れば明らかに暗い部分が広いような気がしました。また、左を下にして寝るとその影が大きくなっている気がしました。

合気道の稽古も流石に怖くて行けませんでした。

かかりつけの眼科へ行くとやはり、「剥がれてきてますね。入院手術になりますね」との判断。

この時は大方そうだろうと思っていたので何のショックもなかったです。当初思っていた2年は持ったな。そんな感慨深ささえありました。

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この時点で左眼の鼻側3分の1が暗い茶色というか緑というか、日本酒の瓶の底を覗いたような(笑)色と歪み方でした。でも実際は両目で見ているので、見えない部分は右側でカバーでき正常にちゃんと見えます。少し真ん中あたりが暗いなー程度。

画像1

この時やらねばならないことが山積み。まず、合気道の先生方へ報告、そして免許更新。視力検査で思いっきり欠けて見えてましたがクリア。


入院先へ再受診

数日後、関西弁の先生、笑顔で「剥がれちゃいましたかー」と。相変わらずフランクに症状、手術について説明してくれました。その時に水晶体も取ってしまって人工レンズを入れる手術(白内障手術)も行うことも聞きました。

症状的にはもうすぐにでも手術した方がいいけれど、仕事の都合もあるだろうしとお盆休暇に合わせて入院する日程を整えてくれて助かりました。手術日は8月11日、入院日はその前日というのが普通だけれど、ちょうど休日のため、前週の金曜日から、うまくいけば15日あたりまでとの話。

その後の眼科の検査は今までに経験したことのない検査ばかり。

瞳を開く目薬を何回も差しながらのアトラクションの数々(笑)目の大きさ、網膜の厚さ、距離などなど、技師さんたちが毎回その検査は何のためにどういう目的で行っているのかをちゃんと説明してくれたため、自分でも考えることができ、不安はまったくありませんでした。

が、私は眼圧測定の風と眼底検査のフラッシュが大の苦手で、毎回目をつぶってしまいやり直しの嵐。これは辛かった。涙も鼻水も全部出る。

検査の中でちょっと衝撃だったのが、吸盤のような形のコンタクトレンズがついた機械を目に入れ撮影するもので、目をつぶっているのに目の中が白く光るもの。後に手術時に同じ経験をしました。

その後、入院前検査のため心電図、アレルギー、X線、血液検査、尿検査(私はパス)、そして入院の説明。最も心配だったお金のこと。高額医療費制度を利用するべく書類を書いて投函。

総合病院ではそれぞれ担当の部署で担当の方が丁寧に何度も細かく説明してくれました。安心感のある対応をしていただいたので不安は最小限でした。

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そこから怒涛。

入院までの4日間、これから入院する人間だってことを忘れそうになるアクティブさでした。会社への報告、仕事の引き継ぎ。パソコンを触ったことがほとんどない上司へ操作の説明はある意味自分の伝え方や無意識にやっていた作業の確認の勉強にもなりました。

また帰宅してからは入院に必要な下着類や備品などを買いに行き、夕食もそこそこに寝る生活。

ほんと、巷で言われている「安静に」「急いで入院」は私には関係なかった気がします。

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