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つまりは、遊べ。

この記事が、めちゃめちゃ面白かった。

http://playtaro.com/blog/2019/07/08/cookie1/

岡本太郎記念館の館長さんと、芸人くっきーさんの対談。

対談って、何回読んでも、「ここ、おもしろい!」が変わるから、おもしろい。いつか、対談というものを、してみたい笑


この記事の中で、「くっきーさんの絵の描き方と、ネタの作り方は、一緒かどうか」という話しと、「岡本太郎氏の絵の描き方」の話しがあって、それが、おもしろかった。


くっきーさんは、ネタを作る時に、映像的なイメージが湧いてくるらしく、それは、絵を描いてる時も一緒らしい。

イメージが湧いて、絵を描いていきながら、徐々に全体像が出来上がっていく、つまり、構築的に描いているらしい。

岡本太郎氏は、逆で、イメージがのぼった時には、ほぼ、全体像ができあがっているらしい。
それを、再現できるように、いらない紙に、何度も何度もディテールを描いて、「頭に手が追いつくまで」練習するらしい。


うーん、めちゃ、めちゃ面白い。

岡本太郎氏の言葉で、

すべては衝動から始まる、優れた衝動は後から計算が追いかけてくれる

という言葉があるんだけど、まさに、そんな感じなのかなー。


「正しいやり方」「うまくいく方法」を知りたがる人って多いし、「成功する特別な方法を教えます!」という謳い文句も巷には多いけど、そもそも、その人に合った「やり方」とか「方法」というのがあって、それは、千差万別、人によって違う。

そして、それは、「自分に合った」というよりは、「自分が自然にやってる」やり方である場合が多くて、無意識に、何にも意図せずに、自然にやってる。


それをどうやって見つけるかっていうのは、ものすごーく細かく自分を見ていくしかない。

誰かとめちゃめちゃ話して、自分のことを俯瞰して知るか、客観的に教えてもらうか、かな。


ちなみに、私は、絵も、文章も、会話も、全部、同じ「やり方」をしている。


絵は、「描けそう!」という時に、降ってきたものを、描く。どんな絵が出来上がったかも、後から知るし、その意味も後から知るし、タイトルも後から付けるし、説明も、後からする。最終的に、ピタリとはまる。


文章も、「書こう!」という時に、降ってきたものを、そのまま書く。特に、何を書こうも決めていない。今、この瞬間も、この文章が、どこに着地するかは、自分でもわかっていない。
それで、書いた後、「ふーん、こういうことが書きたかったのか」と、初めて知る。タイトルは、当然、後から決める。


セッションも、先に、「違和感」を感じる。それが、何かは、その時は、まだわからない。後から、話しを聞いてるうちに、それを裏付ける情報が出てくる。擦り合わせると、ピタリとハマる。あの違和感は、正しかったのかって後から、わかる。


なんなら、人生の進め方もそう。
全部、そうやって進めていくと、だいたい、ことはうまく運ぶ。直感を信じる、それが何になるかは、その時はわからない、けど、後から、回収される。すべて、意味のあることになる。
そして、その意味は、人を介して知るから、私は人に会って話しをするのが、好き。


これが、私の「やり方」で「方法」。再現性はないし、私にしか、できない。

人は、自分だけのオリジナルで、自分だけがうまくいく方法を見つけられると、人生の波に乗れる。

それは、本にも書いてないし、セミナーでは教えてくれない。


それは、すでに、自分の中にあって、そのやり方をしているはず。きっと、会社とかの仕事の仕方には、現れたりはしていないかもしれない。

自分が無性に好きなこと、はまってしまうこと、熱中していることをする時に、自然にやっている「やり方」があるはずだから、それを見つけていったら良い。


つまりは、遊べってこと。

子供のように遊んでたら、「わかる」時が、くる。

無邪気な子供のように、とにかく、遊ぶのだ(゚∀゚)


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