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山寺

夕方に仕事を終えて家に帰る電車に乗った時
車窓に写る自分と目が合ってしまった

のっぺらぼうかと思った
こんな顔は知らない
これは 誰だ
私は目が離せなくなった

気づくと窓の外は真っ黒で
車内には私一人きりだった

『まもなく、◯◯駅。終点です。』
『本日の列車はこれが最終です。』
『折り返しはございません。』

がらんとした車内に無機質な車掌の声が響く
ずっと使っている路線だが
終点に辿り着くのはこれが初めてだった
…ちょっと待て
…終電?
乗った時はまだ夕方だったはず
私は何時間この電車に乗っていたんだ
…今更あわてても仕方ないか

考えているうちに終点の駅に着いた
私が降りるとすぐに扉は締まった
電車は音もなく出発し、走り去った

とても簡素な駅だった
自販機どころかベンチすらない
この駅じゃとても一晩明かせない

とりあえず駅から出てみると
駅前は広い一本道だった
少ない街灯がポツ…ポツ…と立っている
どうせ今は深夜だろう
数時間もすれば始発も動くはずだ
夜が明けるまで 町中を散策しよう
私は一本道のど真ん中を歩き始めた


「どうなってるんだ…」

一本道が終わらない
すでに1時間は歩いたはず
立ち止まるのも恐ろしくて
ひたすらに足を動かした
街灯はもうひとつもなくなって
月明かりだけが心の拠り所だった

「うわっ」

思いきりつまづいて 前のめりに倒れた
手をついた先の地面は 冷たくて固い
石段のような感触だった
両膝と両手をついたまま 顔を上げる

目の前には 開かれた門があった
門の向こうには 寺の影が見えた

建物を見つけて安堵したとたん
一気に疲れを感じた もう歩けない
今夜はこの寺で眠ろう
朝になって誰か来たら 謝ればいい

ふらふらと立ち上がり 門をくぐった
寺の敷地は広く 木々が生い茂っていた
ザァ…ザァ…
枝葉のぶつかりあう音がする
やけに大きく聞こえるその音から逃げるように
疲れた足を引きずり 寺へ向かった

門からすぐ見えていたはずの寺は遠く
進むごとに霧が濃く立ち込めていった
辺りの景色が 白く霞んでいく

「なんなんだ、これ」

がむしゃらに霧をかき分けた先で
ようやく 寺に辿り着いた
寺は霧の中でピシリと建っている
全体は焦茶に黒ずみ、古そうだった

…焦茶色。
色がわかる。
あれ、もしかして、

木々の隙間から見上げた空は
うっすらと青く見えた
いつのまにか月は隠れ
夜が明けはじめていた

「よかったぁ…」

正直、こんな寺で一夜を過ごすのは怖かった
さっさと駅に戻ろう
急足で道を引き返した

門に辿り着くと、愕然とした
そこには一本道などなかった
石段もない
そこは崖の上だった
はるか眼下に広がるのは
霧に覆われた町並み

いつのまにか 私は
どこかの山の頂上に建つ
山寺に辿り着いていたのだった

「どうして」

こんな山は知らない
ここは どこだ


私は 

一歩も動けなくなった

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