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今日の本音0918

内定をもらった。とにかく一安心。
世間知らずだった。転職を2回経験しているけど、ずっとゆるい感じだったから、こんな風に転職活動を進めるとは知らなくて、色々と考えさせられた。
昔の会社が不採用で落ち込み、もうどこでもいいから入れてくれるところに入る!
と思っていたのに、条件を出すよう言われて色々思い悩む。
転職サイトのキャリア相談をお願いして、今一度心の整理をして、とにかく入社することが最優先だ!と色々な欲を捨てられた。欲深く、我儘な自分に呆れる。
でも、その一つ一つが本音なんだなーと、何を捨てて何を残すかの取捨選択をしているだけなので、欲も我儘も私の本音で、私の中にあって良いものだ。
お給料とかお休みとか、仕事内容とか、とか、、。

そういえば、2回の転職の時は、あまり考えなかったんだよね。人に言ったこともないし。結構、フラットになんでも良い(ポジティブな意味で)と思っていた。
あの頃と今の私の差はなんなんだろうな〜。一旦キャリアブレイクをしたからかしら。。

次はオファー面接なるものがあるらしく、それが何なのかから学ばないと。まだまだ転職活動は続く。
そして、本音でいえば〜、不安な気持ちに支配されている気がする。不安とは、漠然とした恐れ。12の感情(寂しい、不安、恐れ、緊張、疲れた、恥ずかしい、怒り、かなりい、いや・NO、好き、楽しい、嬉しい)
期待が膨らむと不安も膨れる。期待を現実サイズにする。あぁ、そうね、漠然と期待はしている。こんな仕事できたらいいな、楽しそうだなとか。うまくやりたい、みんなに認められたい。方や不安は、忙しいかったらやだな、嫌な人がいたら嫌だな。「完璧主義」が登場するらしい。うん、している。「今日の自分にできる限界の中でやれることにベストを尽くせ!」なんか落ち着いてきた。今の自分で良いんだ。無理をしなくて良いんだ。というか、まだオファー面接も入社もその先だから、その日が来るまで考えない!
「明日、死ぬかもしれない」んだものね。最近の自分を取り戻すワード。今、目の前のことに取り組み、楽しもう。先のよくわからないことは頭から除外する。考えるから、ネガティブさんが出てきて心を掻き乱す。考えても仕方ないことだよ。時間の無駄だよ。それより、推しかつでもしよう。

ふと、前の職場に戻りたかったなーという気持ちが湧いてくる。その方が、知っている人も多く、勝手のわかる仕事で、早く馴染めるから。ただのタラれば。
今回学んだからね。これもこれで経験と言う財産。もし、次があるならうまくやれるはず。

最近、子どもの愚痴や悩みを聞くたびに、「若いころはそうだったな〜」と思うし、子どもにもそう話をする。「おかあさんもそうだったよ」とか「思春期はねぇ」とか。大人な目線で話をする。それって、克服したからそう思うんだよねと。就活していると昔のことを色々掘り起こすけど、あー、あの頃は深刻に悩んでいたな〜と思うことも。例えば、マタハラで誰にもいえなかったこととか、今なら誰かに相談できるし、違った解決法を取れるかもしれないとか。記憶を美化しているところもあるけど、克服している今だからできる選択なんだとも思う。時々、80代や90代で亡くなった二人の祖母を思い出す。その年代になった時、今こうして悩んでいる就活や仕事のことも、きっと取るに足らない、日常の一コマで、あの頃は悩んでばっかりいたなぁー、杞憂だったな〜って思うんだろうなぁ。

子どもが保育園の時に東日本大震災を経験して、小学生になった子どもの側にいたくて会社を辞めた。先日、不採用だった会社。なんであの頃、辞めてしまったんだろう。続けられたじゃない。って思う気持ちが沸々と湧く。結果論なんだよね。たまたま、ここまで身近で大震災もなく、安全に生活してこられた。その安全は誰も保証できないこと。あの当時の自分がしたくて選択したことだから、それでよかったんだよ。私自身もそのおかげで、たくさんの社会経験を積むことができたのだから。うん。

昔、「後悔したことはない」「やりたいことをやってきたから」と言い切っていたんだけど。歳なのかな。最近、過去を振り返るね・・。暇なのかな。
今ふと思い出したおばあちゃん、毎日忙しく家事をしたりお友達とおしゃべりしたりお出かけしたり、とっても老後を楽しんでいる人だった。ここのとこ、暇だったんだろうね、ずっと老後の心配してて。お金がないとか、体動かないとか。あんなに人生を楽しんでいるおばあちゃんを身近で見てきたのに。まぁ、あの頃とは老後の保証が全く違うんだけどね。でも、楽しそうだったなぁー。いや、時代の差かしら。大正生まれの人だったから、私の世代とは計り知れない苦労をしてきて。平和で裕福な現代の生活は楽しいそう。うーん。贅沢病か。また、おばあちゃんとおじいちゃんに会いたいなぁ。

ありゃ、こう書き出すと、意外とネガティブになっている私を発見。この土日、子どもの文化祭だったの。それまで部活だのクラスの文化祭委員だの、本当に忙しそうにしていて、色々ストレスもあったみたいで。でも、それを吐き出す暇なく、夕飯を食べるとコトンと寝ちゃう。朝まで目が開かない日々。それがようやく終わって、疲れがどっと出たんだろうね。あとさ、全部が大成功ってないじゃない。収支が合わないとか、何か失敗しちゃったとかさ。思うようにいかないこととか。本番直前はみんなが疲れて焦りもあって、お互いにちょっと当たっちゃったり。加えて、変な部活の顧問への気苦労もあって。疲れたけど、それに見合うスッキリー感達成感も味わえてないんだろうね。この後、きっと先生がそこに持ち上げてくれるんだと思うんだけど。終わって3日間、ずっと愚痴を聞かされ続け、疲れも相まって泣きつかれ。小さい子どもなら、ぎゅって抱きしめて良い子良い子して包めるんだけど。もう包めないサイズ感で、包め込んで小さくできないくらいの子どもの気持ちと。黙ってそうだねーって聞くことしかできない不甲斐なさと。子どももわかってるんだろうけど。それでも、母親に甘えたんです〜と言う心の声が聞こえてくるのをなんとかやり過ごして。共感力の強い私は今現在そこに引っ張られているんだと思う。撮り溜めたドラマ見て、夜のマッサージでリフレッシュしよう。

この週末、長いキャリアブレイクはどうだった?って夫に聞かれた。身内の病気などもあったので、全体的には疲れた日々だったなぁ。と答えた。
そうだよね、子ども悩みも就活の悩みも、あの日々を思うと平和な日常の一コマなのかな。病気も日常といえば日常なのだが・・。
でも、こうして、気持ちをつらつら書いたり。心理学の勉強したり、人生を振り返ったり、悩んで落ち込んで立ち直ったり、50歳という節目を噛み締めた感じもある。これから残り半分の人生を生きる、パワーを蓄えるための日々だったのかもしれないな。最近、よく夫に「私は進化したから」って言うんだけど、それが自分でもしっくりくる感じがあって。たくさん悩んで考えてたくさん落ち込んで、でも這い上がった私はきっと楽に楽しく面白く人生を送れる気がする。
だって、去年くらいは子どもの愚痴を聞けなくて、受け止められなくて、もっと大変だったんだよ。今は、「この気持ちは共感しているだけ」って気がつけるし、さっと子どもをあしらえるし。精神的にとても大きな進化だと思う。
また仕事を再開したら、それを実感できることも増えるのかな〜と楽しみに思う。

あ、不安から楽しい気持ちに切り替わったような。やっと笑える。
今日も本音を書き出してよかった。
一年前くらいにカウンセラーさんから勧められた気持ちの吐き出し。ようやく始められたけど、とても効果のあることだ。私に向いている。いつか、進化を実感して、書き出さなくても心の整理ができるまでになれたら、本音記事は閉じたいと思ってる。
そうそう、夜もよく眠れる。お野菜を考える、今日は間違えて果物を考えてしまったけど、4個くらいで寝たなぁ。この時期、どうしても冷房が寒かったり暑かったりで目覚めるのよ。でも、10個考えたら寝付けるから、これも素晴らしい進化だ。SNSのニュース記事で見た眠りの方法。直接は機会がないけど、教えてくレテありがとう。

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