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2023年シーズンの振返り

 長いようであっという間のシーズンが終わった。
運命に決着をつけるべきシーズンと覚悟して、冬季トレーニングに挑み充実したトレーニングができた。結果的には届かずという結果だった。
 
 そんな時少し前に見た動画をSNSを思い出した。

 結果で言えば、目標未達成であり、失敗である。
しかしながら、動画の通りで「その方法ではうまくいかなかったことがわかった」ということだと思う。
 僕の競技は自己満の世界なので、ダサいことを言うと本当に限りなく目標に近づけた手応えがあった。(毎年言ってるいるような気もするけど。)
 予期せぬ怪我が続き、シーズンを通じて足への不安がないときは片時もなく、やりたい練習も十分に出来なかった。
 何が成功で、何が失敗であったのか。何を持って手応えとして感じていたのか、より良いシーズンを来シーズン送るために振り返りたいと思う。

※SNSで殴り書きしたものを清書し、順に更新して行きたいと思う。


2023年シーズンベスト(前編:2023.10/24更新)

200m 22.71 -0.8   PB:22.64+1.8 (2022)

400m 50.82          PB:50.18(2010)

Lap 48.9(3走)       PB:49.1(2010)

 昨年12年ぶりのPBを400mで実行するべく、望んだシーズンであった。加えて、M35のマイル世界記録チャレンジということでマイルに参加することも多くあったシーズンであった。結果、展開にも恵まれた東日本実業団のマイルではLapベストを更新。初の48秒台ラップを刻むことが出来た。(映像からの算出で48.98程度)出来た。内容的に100点満点かというとそうでもない部分もあるので、またチャレンジをしたい。 
 200mについてはレース数が少なく、初戦がSBとなった。オフシーズン、春先の感じから、400m以上に200mのPBの更新には手応えがあった。日程と足のコンディションでトライできる機会が少なかったが、風を考慮すれば昨年のPBを上回る出来栄えであった。
 肝心の400mは運命にケリをつけるべくした望んだシーズンであったが、ベストどころか昨年シーズンの記録を下回る悔しい結果に。エンジンの問題というより、ドライビングテクニックの精度を高めるトレーニングが不足していた影響が大きいだろうと感じる。
 シーズン前に感じていた手応えとは異なる結果でシーズンアウトすることになった。


練習ベストの更新(前編:2023.10/24更新)

 レースでは不発だったが、練習では本当に手応えがあった。何をまた。。。と思うが、実際にチームメイトとのトレーニングでもやり合えるシーンが増えていたように主観では感じている。タイムなどは学生時代からタッチダウンで計測することが多く、個人内の比較をするために一貫して同じ方法で測定している。(また、トレーニング時の比較のためスパイク、シューズでのベスト記録を分けて考えている。)

スパイク
 250m 28.0(28.0) 
 350m 41.7(42.7)
 400m 49.54(49.4) 
シューズ
 200m 22.0(23.0)
 250m 29.1(29.5)
 300m 35.8(36.4)
 400m 50.7(51.4)
※()内はこれまでの練習時の最高記録。

 怪我の影響もあって例年になく、シーズン中でもシューズして走ることが多かった。そのため、シューズでのベストの更新率が高めである。冬の間はシューズを多用しているが、200mの22秒台、300mの35秒台は難しく達成できなかったが今年はあっさり行けた。400mもなかなかシューズで走ることがなかったが、スパイクでカーブを曲がれない時期に走ったことで50秒台で走ることが出来た。
 何より4月に行なった350mでは41秒台と49秒台はおろか48秒台さえ視野に捉えることができるタイムを出せたのは充実感があった。本当に充実したトレーニングができていたのだと改めて実感している。



やりたい練習が明確に(前編:2023.10/24更新)

 練習ベストを連発した背景には何があったのか?それはトレーニングの目的が明確になったからである。そもそもトレーニングは、なりたい姿を目指す上で必要なもの、不足しているものを得たり、補うために行う。言い換えるならば、目標を達成できると言うことは目標に対してはトレーニングが必要ないことでも言える。
 
 なりたい姿を思い浮かべながら、数多あるトレーニングから最適解を求めて選択しプログラムする。(プログラムするにあたり、自身の現在地の把握がポイントになることは言うまでもない。)ここで問題になってくるのは、この最適解は予測の上に成り立っており、実行してみないと分からなかったり、ある期間継続的に行わないと効果を実感できない側面があることだ。予想通りの効果を得られ、変化が見られるのであればプログラムを立てやすく、負荷や頻度のコントロールで良くトレーニングとしても洗練されていく。端的に言えば、練習のクオリティを高める作業と言えるだろう。
 
 練習時での好調はこのトレーニング効果と狙いが一致してきたことにあると思う。闇雲に負荷を高めるだけではなく、トレーニングとして”継続”をするために、余裕度という評価基準も出来た。毎日全力でトレーニングに向かう日々は、時として重要でもあるし、日本人の美学でもある。私自身そういったところへの共感もある。しかしながら、全力を尽くすことに目を向け、目的を見失っては行けない。

 自戒を込めて、再度言う。トレーニングは目的を達成するために行うべきものである。

オーバーディスタンスの取り組み(中編:2023.10/25更新)

 昨年から本格的に取り組み始めたオーバーディスタンス(400m以上の距離)のトレーニングは今年も継続した。足のコンディションもあったので、感覚的には昨年より多く行ったイメージである。
 2021年の晩秋にチームメイトの草野から言われた「大西はいいジョグをしている。強みを行かせ。ロングから逃げるな」をきっかけに、取り組みを始めて400m対する考え方が大きく変わった。

  400mはスプリント種目の中でも、最大下でのスピードコントロールが必要とされ、ペース配分がパフォーマンスに与える影響が大きい種目である。400mの研究でもこの至適ペースに関する研究は数多くあり、また現場の指導者の経験値からも目標記録に対する指摘ペースが明らかになっている。
 例に漏れずこういった文献や知見を学んだため、400mに対する考え方は加点法であった。目標とする区間タイムから遅れずにどこまで通過していけるか。通過タイムを守りつつ、どれだけ余力を次の区間に残せているかが評価基準であった。
 しかし、このオーバーディスタンスを取り組むようになってから、減点法に変わった。ゴールまでスピードを届けることを前提に、どこまでペースが上がると達成できなくなるのか?を探るような考え方になった。


加点法と減点法のイメージ

 理想のペース配分の知識を得れば得るほどに、ここで遅れては目標に届かない。このペースを死守しなければ。次の区間で遅れる可能性が高いから貯金を作ろう。そんな思考でレースを展開していた。これは余裕があると言い聞かせながら。
だが、貯金は時間と共に返済に充てられて行き、しまいには理想とはかけ離れた展開になることが多くあった。だが、いつかこのペースで届くことを願って走っていた。そんな時、リディアードの言葉に出会う。

『リディアードのランニング・バイブル』より

 今まで区間タイムにこだわるあまりに、400mを走ることができていなかったことに気付かされた。400mのレースで200mないし300mのレースをしていたのだと。この辺りから、自身の考えが減点法にシフトした。まずは、400mを走る切るところを100点にして、ペースをどこまでペースをあげることができるか。あげても減点が少ない状態でレースを終えられるか。初めて400mをトータルで考えることがまず1歩目であると考えるようになった。そのためには、400mレースの時間を余裕をもって動き続けられる能力、コントロールして走る能力、減速していく中で極力減速を鈍化させる能力を獲得しなければならず、有酸素系の代謝能力(ミトコンドリアを利用してのエネルギー産生)の改善を測るためにオーバーディスタンス(時には、ビルドアップのような切り替え)を行うようになった。

 その結果、目標としていた200-300mを12秒5以内、300-400m13秒台でカバーすることができるようになった。練習を含めてこの区間タイムで7割以上の確率でこのペースで走ることができた。

 一方で、前半区間のペースコントロールのトレーニングが不足していた。

身体について(中編:2023.10/25更新)

 今年の12月で36歳を迎えるが、差し当たって大きな体の変化をあまり感じていない。(鈍感なのかもしれないが) 一般的な筋力、瞬発力、持久力という点では落ちているかもしれないが、さほど競技に影響するほどのこと感じていない。(そのレベルではないからか?)
 身体作りで行っているウエイトは下記の内容を行っている。

・スクワット  110kg*6-10*3-5
・ベンチプレス  60kg*3-80kg*3-90kg*5-80kg*10
・ハイクリーン 60kg*3-70kg*3-80kg*2-3-90kg*1-2-100kg*1(=Max挑戦)
・バックプレス 20kg*10*3
・ローイング 60kg*10*3

 週1-2回のペースで分けて行うことも、全部を行うこともあるが概ねこの通りである。状況に応じて、他の種目(シングルスクワットやデッドリフトなど)も行う。ウエイトでいえば、2011年ぶりにクリーン100kgが今年の3月に12年ぶりに上がり、それ以降はいつでも上がる状態をキープできている。ウエイトの重量は体重の影響も大きく、64kgを下回るとベンチプレス、クリーンがおぼつかなく確率が高くなった。

 また、パワーについても、怪我の影響からフルスプリントができなくなり7月から週1回低酸素バイクに取り組み始めた。スケジュール的に飛んでしまうこともあったが、継続して行うことがありパワーをモニタリングすることができた。パワートレーニングのプログラムや頻度が少なくなる傾向にあるので、こうして週1回でもそこに取り組める時間を作れたことはよかった。時短で出来、最大努力でも怪我のリスクが低いことも継続するにあたり重要なポイントであった。クリーン、バイクと苦手であったパワー系のトレーニングを積むことで、年齢を重ねていても改善できたことは良かった。

低酸バイクのパワーと回転数の変化(6secMax+24secRest*5)*2 r=5min

 とは言うものの2020年にはアキレス腱、2022年は脹脛、2023年は両ハムとどこかしら痛めており、年間を通じて健康な状態を維持できなくなっている。特に、今年はその影響が大きく、騙し騙し練習は継続できたものの思い通りに練習できた期間は非常に少なかった。こうなった理由は、怪我の回復過程での判断ミスが原因となった。 

怪我の影響(後編:2023.10/29更新)

 今シーズンは柄にもなく怪我の影響が大きかったシーズンとなった。思い描いてたいたトレーニングやスキルを実行できる身体のコンディションではなかった。

 2月4週目  右ハムの肉離れ   
 6月2週目  左ハムの肉離れ 
 8月4週目  右足関節圧迫捻挫・右アキレス腱

 練習を中断する必要があったトラブルは計3回。いずれも1週間程度で練習に戻ることはできたが、違和感、制限はシーズンを通じてなくなることはなかった。長引いた原因として主な理由は2つある。①ハムを単体で鍛えることにフォーカスし過ぎたこと。②刺激による変化に期待し過ぎたことである。
 1つ目は、単純にハムを単体で鍛えることにフォーカスし過ぎた。昨年よりハムのトラブルをリスクを下げるために、毎回W-upでスライドボードを使ったレッグカールもしくはペアで行うレイザーカールを行い、ハム自体の強化を行ってきた。怪我の理由もリーチアウトするような動きのエラーも少なく、速度に対して耐えられるハムではないからだと判断し、よりハムを鍛えることに注力をした。これが最初の落とし穴であった。スプリントは全身を使う動作であり、下肢の動きは臀部と連動しながら接地に向かう。ハムに注力するあまり臀部との連動がうまくできず、ハムにかなりの負荷がかかっていた。トレーナーにお尻とハムのボリュームはあるけど、付け根のあたり(坐骨結節の辺り)のボリュームが足りてない言われた時にハッとした。弱点にフォーカスし過ぎたことで、その先の思考が止まってしまっていた。

 2つ目は、刺激による変化への期待によって長引かせてしまった。2月に怪我をしたのちに、4月の2週目のレースには出場をしている。このレースに終えるまでははスピードを出すことに億劫になっていたのだが、このレースを終えた直後からハムの嫌な突っ張り感が抜け、ニュートラルな状態になった感覚があった。翌々日にスピード練習を行った際に、それまでの怖さ・不安が嘘だったかのように走ることができた。明確な理由は不明だが、いつも以上に集中して行うW-upやレースの動きがなんらかの好影響をもたらしたと考えた。これが第2の落とし穴であり、その後の怪我でもなんとか試合を乗り切ったら、試合の刺激が劇薬となって回復するのではないか?と期待するようになった。だが、それ以降は効果は見られず、ハムの違和感が消えたので上記の連動して使うことを意識したトレーニングを開始した9月3週目からである。

 秋シーズンも練習のスピードを高めて再発することを恐れて、フルスプリントのトレーニングは一度も出来なかった。来季に向けては、健康な身体でシーズンを送ることが一番の目標である。

実行力の精度(後編:2023.10/29更新)

 パフォーマンスに繋げられなかったのは、これに尽きる。本番でパフォーマンスを発揮するトレーニングとパフォーマンスを高めるトレーニングの乖離があった。
 
 健康状態に、トレーニングの状況に難はあったものの、主観としては昨年よりもバージョンアップできた部分は多かった。しかしながら、パフォーマンスに繋がらなかったのは、本番で実行する能力が足りなかったからである。要は、レース環境を想定したトレーニングが不足しており、いざスタートラインについた時にあれ?大丈夫か?これ?となることが多かった。

 今季のトレーニングは足の状態がいい時には、レースよりも生理的な負荷をかけることが優先し、最大努力でまとめる練習が多くレースペースで走るということは想定してなかった。400mは最大下努力でのスピードコントロールが大事な種目でありながら、そこは経験でカバーできると思ってしまった。

 マイルのようなオープンでペースメーカーがいるような展開であれば今季は外すことなく走れていた。しかしながら、それはペースメーカーという助力を利用してのことで実行力を高めるトレーニングではなく、その記録を出せる実力があることを確認するトレーニングになってしまった。

”覚悟””を知る。(後編:2023.10/29更新)

 Acceのl創部から10年以上が経過した。チームメイトにも恵まれ、創部時に考えていたよりも遥かに大きな規模感で活動ができている。2016年以降は強力なメンバーが毎年加入してくるようになり、選手権の試合では自分自身は監督としての立場で臨むことが多くなっていた。
 
 今季は自分だけでなくチームメイトのトラブルも発生し、久しぶりに「代走、大西」をすることに。
 メンバーの選考には、当日の走力だけでなく、身体の状態、今後の試合のプラン、既往歴などから総合的に判断し最も速くバトンを繋げるメンバーを選ぶ。東日本実業団では、上記の理由から直接対決で負けた選手を外し、自身を起用した。いざ自分が走ってみると、やはりチームのプライドというか積み上げてきたものをひしひしと感じた。選考で勝ち取ったメンバーである以上、走らなかった選手も納得できる走りをしなければいけないと覚悟を持ってレースに臨むことができた。
 
 変な話だが自分の思っていた以上に、Accelのリレーの看板が大きくなっているように感じた。時にこれが足枷になってしまい、挑戦に対しての足踏みをしてしまいそうになることもあるけども、いつまでの挑戦者であることを忘れずにいたい。



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