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オリックス・近鉄の球団合併経緯

はじめに

  • 本記事は2004年に行われた、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に関する経緯をまとめたものです。

  • 両球団に関するトピックを主対象としますが、出来事の都合上、一部他球団・球界全体の話題も含みます。ご了承ください。

  • 記事末尾にて、時系列一覧と参考文献を記載しておきます。

背景

球界の事情とリーグ間格差

2004年までのプロ野球界の収益構造は「巨人頼み」の状態であった。
巨人戦の放映権料は1試合あたり1億円とも言われ、セ・パ両リーグの収益格差が著しく、パ・リーグ球団はいずれも慢性的な赤字を抱えていた。
こうした状況を打破するため、1994年にはパ・リーグ側から1リーグ化に向けた申し入れがあったが、セ・リーグ側はこれを黙殺するという経緯もあった。

近鉄側の事情

当時の近鉄グループはバブル期の不動産投資が仇となり、2003年3月期には1兆3,000万円の有利子負債を抱え、経営危機とも呼べる状況にあった。
このため近鉄本社は不採算事業の整理に全力を挙げていたが、特に赤字が顕著なのが球団を含むレジャー事業であった。

近鉄球団は35億円の収入があった一方、高額な選手年俸や毎年10億円以上にものぼる大阪ドームの使用料が重荷となり、約40億円の赤字を抱えていた。

球団はその解消を図るべく、2004年1月31日にネーミングライツ(球団命名権)を36億円で売却することを発表する。しかしこれは他球団オーナーの怒りを買い、コミッショナーも否定的な反応を示したため、わずか5日後の2月5日に取り下げられる。
自力での赤字解消の目処が立たず、といって売却先を探そうにも買い手が見つからない。球団は解散を考えるほど追い込まれていたという。

合併報道とその影響

突然の報道と記者会見

2004年6月13日、日本経済新聞の1面に「オリックスと近鉄が球団合併交渉を進めている」との記事が掲載された。
当該記事では近鉄本社の苦境と球団の赤字が年間約40億円にのぼる旨、またネーミングライツの売却失敗後にオリックス側が合併を申し入れ、近鉄側がそれを受け入れた旨が記載されている。

同日、近鉄本社の山口昌紀社長が記者会見を行い、オリックスとの合併に合意している旨を公式に認めた。ここで発言された内容は以下の4点である。

  • 回収見込のない経営資源を野球に投入することは、これ以上無理と判断

  • 4月頃にオリックスから合併の申し入れがあった

  • 5月のGW明けに両社首脳が会談の上で合意

  • 両球団は2004年シーズン終了後に合併の予定

この合併に対する球界の反応は早く、6月17日のパ・リーグ緊急理事会、また6月21日の実行委員会(セ・パ両リーグの会長と、12球団代表の計14人による会議)にて了承されている。ただしこれは正式承認ではない。正式承認を行うのはオーナー会議である。

オリックスの合併申し入れ理由・経緯

何故オリックスが近鉄を合併するに至ったのか。
後にオリックスの宮内オーナーが語ったところによると、同球団が近鉄に合併を申し出た理由・経緯は以下であったとのことである。

  • 関西の市場規模では3球団(阪神・オリックス・近鉄)は多すぎ、経営が成り立たないため、球団数を削減する他ない。

  • 近鉄首脳から「球団を解散する」との話があり、「それならば合併の方が良いのではないか」と申し出た。

  • 近鉄の他にもダイエーが経営危機にあり、チーム数を削減して1リーグとすることで、球界が一体となった運営を実現する必要がある。

一見近鉄の救済に見えなくもないが、後述する1リーグ制の実現を見越しての申し入れであったことが伺える。

過熱報道とその裏で

ライブドアの買収提案

6月30日にITサービス企業であるライブドアの堀江貴文社長が、近鉄球団の買収に名乗りを挙げた。堀江氏は7月2日に大阪ドームで開催された近鉄戦を観戦し、大いに世論を賑わせた。
しかし近鉄本社はこの提案を拒否。予定通り合併を進めるとコメントした。

合併内容の具体化

ライブドアによる近鉄球団買収報道が過熱するその裏で、オリックス・近鉄両球団は7月1日のパ・リーグ理事会にて合併に関し以下の4点を表明した。

  • 新会社を設立し、オリックス80%、近鉄20%がそれぞれ出資する

  • 球団名は近鉄側の強い希望で「オリックス・バファローズ」とする

  • 保護地域(フランチャイズ)は大阪府・兵庫県としたい

  • 新球団は両球団選手のうち28名を優先的に確保(プロテクト)する

なお保護地域については同じく兵庫県を管轄とする阪神との兼ね合いから、大阪府・兵庫県を保護地域とする措置は3年間の時限措置とされ、またプロテクトについても後に実施する分配ドラフトにて25名に変更された。

1リーグ構想

オーナー会議

7月7日に開催されたオーナー会議にて、オリックス・近鉄の合併が概ね了承(正式承認ではない)された。しかし同会議の中心議題は両球団の合併ではなく、より大規模なものであった。それが巨人(読売)を中心に進められた1リーグ制の実現構想である。

1リーグ構想については本記事の主対象たる枠を超えるため、詳細は差し控えるが、「8〜10球団による1リーグ制を実現することにより、リーグ間格差をなくしプロ野球全体の健全な発展を図る」とする考えのことである。

この話がきっかけとなり、議論の主旨はオリックス・近鉄間の合併というひとつの案件から、球界全体を巻き込む話へと発展する。これによって両球団間の合併は一段低いテーマとして扱われてしまう。

1リーグ制への反発

オーナー主導で一方的に進められる1リーグ制への流れに対し、2つの反対勢力が出現した。プロ野球選手会(以下「選手会」)と巨人を除くセ・リーグ5球団である。

選手会はプロ野球選手の権利を守ることが存在意義であるため、選手の雇用縮小につながる球団合併に反対の意思を示し、7月10日の臨時大会にて1年間の合併凍結を含む4項目の要求を決議した。
また合併反対の署名活動を行い、7月16日の近鉄選手会による大阪ドームでの活動を皮切りに、全球団選手会がそれに協力した。

また巨人を除くセ・リーグ5球団は、1リーグ制となると巨人戦の試合数が減り、放映権料が減収となる。このため阪神を中心に2リーグ制の維持を支持する立場に回るが、あくまで自球団の利害に立脚したものであり、オリックス・近鉄の合併に対しては反対の意思を示さなかった。

正式承認とストライキ

合併の合意

8月10日にオリックス・近鉄両社は合併の基本合意書に調印した。主な内容は7月1日のパ・リーグ理事会で披瀝された内容と概ね変わらない。
同日の段階では球団名・専用球場に関する言及は避けられたが、8月27日に締結された正式契約にて、以下の事項が決定された。

  • 近鉄がオリックス球団(オリックス野球クラブ)へ第三者割当増資の形で20%出資する

  • 新球団名は「オリックス・バファローズ」とする

  • 専用球場は大阪ドームとする

  • オリックス・近鉄間の契約は3年後を目処に見直す

球界全体を対象とする再編騒動の渦中において、オリックス・近鉄両者は着々と合併に向けた手続を進め、残すは9月8日のオーナー会議による正式承認を待つのみとなった。

オーナー会議の正式承認

9月8日に開催されたオーナー会議にてオリックス・近鉄両球団の合併が当事者を除く10球団のオーナーに諮られ、「地域の理解を得られない」として棄権した広島を除く9球団の賛成により正式に承認された。
また同会議までに「もうひとつの合併」が不成立に終わったため、翌シーズンをセ・リーグ6球団、パ・リーグ5球団の2リーグ制で行うことで合意した。
なおこの「もうひとつの合併」とはダイエー・ロッテが対象であったが、ダイエー側の拒否に遭い実現に至らなかったとのことである。

ストライキの決行

選手会はオーナー会議の決議内容を不服とし、団体交渉を継続した。この席上でロッテの瀬戸山隆三球団代表(後のオリックス球団本部長)が「オリックスと近鉄の合併は覆らない」と発言したことで、選手会の古田敦也会長が握手を拒否するなど交渉は難航。9月17日の交渉も決裂したため、日本プロ野球史上初のストライキを9月18日・19日の2日間にかけて決行した。

労使交渉の妥結

9月18日・19日のストライキ後も労使間の団体交渉は継続され、9月23日の交渉にて球団側が新球団の参入を容認。これにより選手会はオリックス・近鉄の合併凍結を要求事項から取り下げ、交渉は妥結した。これを以って両球団の合併は選手側にも容認され、合併が確定した。

合併球団の設立

正式発表

労使間の交渉妥結を受け、翌9月24日にオリックスは合併球団の名称を「オリックス・バファローズ」に、専用球場を大阪ドームにすることを正式に発表。
その大阪ドームで大阪近鉄バファローズの最終戦が開催された日であった。

また10月12日、合併球団の監督に仰木彬氏が就任することが発表された。

新球団との選手分配

前述の労使交渉妥結によって新球団の参入が容認されていたが、11月2日のオーナー会議で正式に新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の参入が承認された。

これを受け、オリックス・楽天両球団は選手の分配ドラフトを11月8日に実施。方法は以下の通りであった。

  • オリックスが優先保有選手(プロテクト)25人を選定

  • 次に東北楽天がFA権行使した選手、外国人選手、入団2年目までの選手を除く全選手のうち20人を指名

  • 入団2年目までの選手も加えオリックス→東北楽天の順で20人ずつ選定

  • 最終的に残った選手はオリックスに配分所属

なお一部の近鉄選手はオリックスへの移籍を拒否し、オリックス側もこれを容認。結果楽天は40名の選手を獲得した。

所属選手の確定後、11月10日に結団式が開催され、合併球団のロゴとユニフォームが発表された。ブルーウェーブのそれを全く踏襲したデザインに、選手達からの反応は困惑に満ちたものばかりであったという。

付録

経緯まとめ

2004年1月31日:近鉄球団によるネーミングライツ売却発表(2月5日に取り下げ)。
2004年6月13日:オリックス・近鉄両球団の合併報道。近鉄が記者会見で事実を認める。
2004年6月21日:実行委員会にて合併を了承。
2004年6月30日:ライブドア社が近鉄球団の買収を表明。
2004年7月1日:パ・リーグ理事会にて合併の構想を発表。
2004年7月7日:オーナー会議にて合併を了承。1リーグ制構想が表面化。
2004年7月16日:近鉄選手会による合併反対署名活動開始(以後全球団で展開)。
2004年8月10日:オリックス・近鉄間で合併に関する基本合意書に調印。
2004年8月27日:オリックス・近鉄間で合併に関する正式契約締結。
2004年9月8日:オーナー会議にて両球団の合併を正式に承認。
2004年9月18日:選手会によるストライキ開催(9月19日まで)。
2004年9月23日:球団・選手会間の労使交渉妥結。選手会も合併を容認。
2004年9月24日:合併球団の名称・専用球場を正式発表。
2004年10月12日:合併球団の監督に仰木彬氏が就任することを発表。
2004年11月2日:オーナー会議にて新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の参入を承認。
2004年11月8日:オリックス・楽天間での分配ドラフト実施。
2004年11月10日:合併球団の結団式を開催。

参考文献・記事


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