見出し画像

あの年の盛岡2011パンフ文章

 あのとき、わたしたちはみんな当事者でした。街角で、学校で、仕事場で、劇場で、車の中で、自分の家で。そして、目撃者でもありました。直接その目で、テレビの中で、ラジオの声で、ネットの動画で。それだけでなく、傍観者でもありました。何かできることはないか、何かしなければならない、何かできるはずだ。実際に何かできた人もたくさんいたでしょう。しかし、何をしてもその隣には、自分の力の及ばない、ただ、見ていることしかできない人々がたくさんいました。何をしても無力であることを思い知らされたのも事実です。
あれから六年が経とうとしています。わたしたちは何者になれば良いのでしょうか? 「あの年の盛岡」シリーズは、明治、昭和のあの年を発掘し、伝えてきました。それは、あの時代を生き、困難に立ち向かった人々が、ここ盛岡に確かにいた、という事実を再発見することに他なりませんでした。
そしてついに、今を生きるほとんどの人が経験した「あの年の盛岡」を描きます。それぞれに辛く、恐ろしいことや、不便なことをみんなが経験し、記憶も新しいあの年のお話です。数え切れないエピソードの中から、盛岡劇場周辺、盛岡名物、報道関係や学校関係、もちろん沿岸とのつながりも意識し、そのときに右往左往した、名も無い「人物」に焦点を当てて展開します。
わたしたちは、事実を元に、しかしながらドキュメンタリーとはひと味違ったフィクションとしての舞台をつくりあげたいと考えています。それは、事実を厳粛に受け止めながらも、前を向いて進むための一つの方法だと信じています。
風化に立ち向かい、希望へと歩き続ける姿を描くために、わたしたちは一丸となって舞台に立ち向かいます。そんな舞台と、あの年を未来へ伝えるのは、観客席から見守る、伝承者の役割なのかもしれません。

第6回「劇団モリオカ市民」公演 「あの年の盛岡 2011」2017年3月4.5日上演のパンフレットに書いたもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?