拗らせた絵

恥ずかしい話だが、見る人がほぼいないであろうここに投稿して発散しようと思う。知って欲しくないのと知って欲しいのだと知って欲しいが勝つが、やはり恥ずかしい。


僕の絵は私小説的と評価していたが、もっと的確な言葉が思い浮かんだ。「厨二病を拗らせた絵」だ。
世の中で自分が一番不幸を背負ってるような、自分が世界を変えなければならない、そんなことを暗に思っているような気がする。そう、マンガやアニメの主人公のようにだ。絵づくりも表現を巧みに行おうとしていて上手くなく、非常に短絡的で、幼稚で、感情的。深い絵画性や思想はないように思う。浅い、とても浅くヒロイックである。ある種のカッコよさも狙っているがしかし上手くいっていない、中学生が背伸びしてダサい服装に金具がギラギラついたブーツを合わせているようなチグハグさがある。客観性がないからだ。
他者へのメッセージ性を詰めようとして結局自分のことしか考えていないのだ。誰にも認められなくてもいいとしながら、心の中では人に認められたいという魂胆でいっぱいだ。なんて情けない。高価な絵の具を惜しげもなく使ってこんなものなのだ。。
なんてことだ。気づいてしまった。これは大人厨二病とでも呼ぶような絵画ではないか。とても恥ずかしいことだ。この歳になって恥ずかしいことをしている。だが僕には人の褌で相撲を取るようなことはできない。自分を受け入れる意味でもこの絵画性を受け入れて制作、発表しようと思う。

大二病を脱するにはどうしたらいいのだろうか。勉強することしか思いつかない。もっと知ることで、自己の見つめ直し方を多角的におこなっていく。生き続ける術を身につける。自己を見つめることで他者と繋がっていく方法を取ることが今は的確な方法だと感じている。

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