推しの自己肯定感についての妄想


わたしは精神衛生がよくてそれを公言できる自信のある人間が好きっていう前提で、自分の推しが自分で精神衛生がいいと言い切れるのが魅力のひとつだと感じてる。
今まで生きてきた経験でしか測り得ないけど精神衛生がいいと言えて自己愛を正しくもててる人間って他人に悪い影響を受けることが少なくてほんとに強い。

特に推しみたいな技術職の人は自分の精神衛生を侵さないため、自分のことを嫌いにならないためにもいい仕事を絶やさない努力をするイメージがあって、その努力が結果に繋がってコンスタントに仕事を得て活動してるなんてまず自己肯定が低くなり得ないでしょ、と思う。
たぶん彼が重きを置いてない周り(わたし)からみてもそんな人間ってめちゃくちゃかっこいいじゃん。

それを謙遜して表に出さないことを美徳とする文化も理解できるけど、単純にわたしの好みの問題で表にバリバリ出してくれる人のほうが推してて楽しい。

推しは自分以外のいいところを見つけて言葉にするのもほんとにお上手で、お仕事に対して真面目に考えてリスペクトを持っているからこそ共演者や作品のいいところが事細かにポンポン出てきて、何の照れも他意もなく素直にそれを伝えられるのかなと思う。
受け取った本人はどう思うかは本人にしかわからないけどわたしが対象の声優さんや作品のファンだったらあんな褒められ方したら多分めちゃくちゃ嬉しくなっちゃう。
余談だけど、推しって嫉妬と好意が近いところにあるなとも感じててそれを嫌味なく、惜しげなく悔しい!っていうのがめちゃくちゃ人間らしくて好き。


急な自分語りで申し訳ないのだけど、私は謎にポジティブで自己肯定が高いのね。
何かが優れてるわけでもないし外見も中身もコンプレックスだらけでまわりからしたら何の要素に自信を持ってるんだこいつとなると思うし、基本何の努力もしないし、自己肯定というより自分に甘いだけだし。 
でも少しでも生きやすくするためのライフハックの一環で、別にいいじゃん、周りが自分にどんな評価を下そうと自分が幸せならそれでいいじゃん、ぐらいの図太さでいたら実際不思議なくらい生きるのが楽しいし一部のモノ好きは好いてくれるおかげで人間関係がなりたってて万々歳と言った感じでうまくやっていけてる。全然自慢できるものじゃないけど。

でも推しの自己肯定って擬似自己肯定人間からすると羨ましくて仕方ないくらい、羨ましいと思うことすらおこがましいくらい本物なのよ。
生まれてから現在までに積み重ねた成功体験、失敗体験、才能と自己研鑽と実力と評価、すべてがバランス良く彼の肯定感に繋がってる気がする。美しさすら感じるレベルで。
でも推しは決して満足することなく自分の仕事に誇りをもって貪欲に成長しているように感じるし、
臆せずこういうことしたい、こうなりたいってハッキリいえる強い人間で、そういうところが今だけじゃなくて次を期待させてくれたりワクワクさせてくれて見ているだけで楽しくなれちゃう。それも推してる理由の一つだな〜とここまでダラダラ書いてて今気がついた。ラッキー。

推しの性格(言動)って多分人を選ぶというか、万人受けするものではないことはなんとなくわかる。
この文章は理想の押し付けでしかないことははっきりとわかる。
でも、私は推しの性格が大好き。声とか演技で気になって追いかけ始めた声優さんがこんなにも人間性の愛せる人でオタクは幸せだよ、オタクになってよかった。

人生たのし〜〜〜〜!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?