使命

よしのです。

この記事は
学びはなく
私がただ思うことです。

セッションをさせていただいたり
フォロワーさんからDMを
いただくと
壮絶な人生をご経験をされてきた方々の
お話しを聞かせていただく機会が
あります。

上から目線みたいに
聞こえたら本当に
申し訳ないのですが
「これまでよく生きてきましたね」
って感覚になります。

しかもそんな方々に
共通するのは
周りの人々を慮る行動や発言が多いです。

いたく感動します。

そして
「とても気高い御霊の方なんだろうな」
と感じます。

私は父親がいないってだけで
特別強烈な経験をしたことが
ありません。

それでも人生がしんどかったので
「どうしたら幸せになれるのか?」
と思って勉強して
その過程でみずきと出会えたので
みずきと一緒に
思うままに発信させてもらっています。

その発信の中で
気高い御霊の方々に出会うと
自己否定という感覚とは
また違うのですが
「私ってしょぼいな」
って思います。

すごく自分が
無力だなって
思います。

「私って別にすごくないな」
「大したことないな」
って思うんです。

「私はただ
『発信する』というお役目を
いただいているだけなんだ」
って感覚になるんです。

「発信することによって
こんな気高い方々の一助
(一助という言葉を
使うのも烏滸がましいですが)
になれればいいな」
って思います。

ただ「発信」という役目が
私の魂にはあるから
「させてもらっているだけなんだ」
って感覚です。

そしてそういう感覚のものが
「使命」なのかなと
思ったりします。

使命とかお役目って
魂で決まってると
私は思っています。

そしてそのお役目をするために
才能や魅力、
そして苦しい経験を与えられると
私は思っています。

地球ってそういう場所だと
思っています。

自分と向き合い、
自分の人生の流れを
見つめると
使命やお役目って
勝手に浮かび上がってくるものだと
思っています。

そしてその使命やお役目を果たす中で
私たちの魂は
また学びを重ねていくのだろうなと。

そんな経験をするために
私たちは地球に
やってきたんだろうなと。

なので究極、
楽しい経験も
苦しい経験も
私たちの魂にとっては
同じ価値で
それを経験しに来ているだけなんじゃないか
って思っています。

良いも悪いもない。
全て同じ価値。
等しい。

よしの


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