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Let's go out without smartphone!




はじめに


 たまにスマホを家に忘れてしまう。頻度はだいたい月に一回くらい。スマホがないと色々不便だ。電車の時間は調べられないし、SNSを使うこともできなければ、インターネットで調べ物をすることもできない。スマホが便利であることは否定しない。でも、そんな便利すぎるものを使い過ぎてしまってはいないだろうか。専門的なことやニッチすぎることを除けば、インターネットにほとんどの情報は載っているし、SNSを覗けば友達が投稿を更新しているかもしれない。インターネットの世界は魅力的だ。面白い動画や、有益な情報が溢れ、それらが無料で使えるのだから。

 スマホは元々は連絡手段だったはずだ。だがそれは今や我々の生活の大きな部分を占めるまでに至っている。スマホがないと連絡が取れない。それはそうだ。私は学生の身分であるので、常に連絡が取れなければいけない状況にはない。主な連絡相手は友人であるからだ。義務的な連絡は、バイト先とのやり取りぐらいである。社会人であれば、会社に属して、そこでの仕事に対してお給料をもらうので、私よりも連絡の頻度が高いだろう。会社に属する一個人として、連絡手段の保有は義務である。大人になるとは、責任をより多く背負うようになるということだ。

 生産的な仕事に対する報酬によって生活している、社会の大半を占めている人間ーつまりほとんどの社会人ーは、常に連絡が取れる状況が好ましいし、そうでないと会社の業務が円滑に回らなくなるかもしれない。そのためお金を得る手段としての仕事の一部として、スマホによる連絡を取ることが求められているのだ。通常の勤め人はスマホを持ちたくないと思っていても、個人的な理由でスマホを所持せずに定期的に連絡を返さないことは、ほとんど不可能である。

本文



私はなにも「スマホは悪だ。みんなスマホを手放そう。」と言いたいわけではない。(できることなら、私はスマホなしでも生活が送れる環境を整えたいが…)私はスマホの悪影響を学問的に研究しているわけでもないし、それを啓蒙したいわけでもない。

私は提案をしたいのだ。「ただたまには家にスマホを置いて出かける日があってもいいんじゃないですか」、と。


私は月に一度ほど、スマホを持たずに家を出てしまう。まあそうなるといろいろ不便なわけだ。まだ大学生であるので、スマホを忘れても何とかなるわけだが、そうするとなにか心地よく過ごせるのだ。私はこんな記事をかいておきながらスマホ依存的な傾向が強いので、手元にあったらついつい見てしまうので、それがないと落ち着くし、時間がゆっくり流れているような気さえしてくる。

みんながみんなスマホを持たずに出かけたら大変なことになるかもしれない。でも、ほんのたまにはそんな日があってもよいのではないかと私は考えるのだ。なににも縛られずにゆっくり過ごせる、そんな日には、ぜひスマホを持たずに出かけてみてはどうだろうか。


おわりに


現代の情報社会を上から目線で論じるような書き出しにも関わらず、非常に内容の薄い本文であることをお許し願いたい。私は緻密な文章構造と、客観的証拠によって、スマホの悪影響を論じたかったわけではないという言い訳をさせていただきたい。(そんなことがそもそも私にはできないのだが…)
あくまでも一人の人間の個人的考えに基づく提案だと受け取ってもらえれば幸いである。

この文章を書くに至ったなかでも、強い影響を受けたスウェーデンの精神科医の著書を紹介して、結びとしたい。少し前に日本でも話題になった本なのでご存じの方もあられるかもしれないが、興味があればぜひ一度読んでもらえたらと思う。


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