双子を妊娠した話

数年前、子供が欲しくなり妊活をして子供を授かった。今はかなり楽になったのだが、当時の気持ちとかを記録しておきたいと思う。

双子を妊娠する前、妊娠6週くらいで流産した。
稽留流産と言われるもので、受精、着床したものの育たずに子宮の中に留まっていた。掻爬手術を受けたのだが、その時の絶望感は半端ではなかった。
後から考えるとよくあることらしいのだが、初めての妊娠で流産してしまい、あれがいけなかったのか、これか、と考えすぎていた。

そんな中、双子がお腹の中に来てくれたのは割とすぐのことだった。
初めは一つしかなかった命が、7週目くらいで分裂して、双子になったのだ。
親戚に双子はいないと思っていたので、とてもびっくりしたし、流産した子が戻ってきたのだと夫と喜んだ。
後から聞くと、従姉妹の子供が双子らしい(遺伝は関係ないのかもしれないが)。

うちの子供はMD双胎といわれるタイプの双子だった。
いわゆる一卵性双生児と呼ばれるタイプで、簡単にいうと、一つの卵の中に二つの袋があり、そこに1人ずつ入っているというようなイメージだ。
それぞれ袋が分かれているので、リスクとしては双子の中では中間といったところだ。
余談だが、MM双胎と言われるタイプの双子は、中の袋も一つしかないため、色々とリスクが高いらしい。

とはいえ、前回の妊娠で流産を経験しているため、気が気ではなかった。
胎動を感じるようになるまでは、毎日、お腹の子供が生きているのか確信が持てず、検診に行くたびにもしかしたら心臓が止まっているかもしれないという不安を抱え、妊娠している喜び半分、いつでも諦められるように心の準備をしていたと思う。

また、双子の妊娠は出産児のリスクが高いことから、一般の産婦人科では診てもらえず、地域の大きな病院に転院する事になった。毎回ドキドキしながら、何時間も待たされることも多々あった。

妊娠初期はありがたい事につわりもほとんどなく過ごした(それがまた不安でもあったのだが)。
葉酸のサプリを飲み、コーヒーをやめた。代わりにオレンジジュースをよく飲んでいた。

胎動を感じ始めると少し不安が和らいだ。胎動を感じると、子供が生きていることを実感できたからだ。
お腹はどんどん大きくなっていった。
ただ、妊娠継続が初めてだったので、他と比べることもなく、こんなもんかと思っていた。
他の人から見ると、ものすごく巨大だったようだ。
妊娠7ヶ月くらいでは、もう単胎児の臨月くらいにはなっていたのだと思う。

双子妊娠では、産休に早く入ることができる。
当時正社員だったので、ありがたく制度を使わせてもらい、きっちり早めに産休をいただいた。

体はとても元気だったし、暇で暇で仕方がなかった。
夫は心配してあまり出歩くなと言っていたが、車もあったし、赤ちゃんグッズを買いに行ったり、散歩に出かけたりしていた。

が、妊娠後期に入ってくると、お腹が重たすぎてめちゃくちゃ疲れる。
それと、自覚が全くなかったのだが、お腹が張っていて、自宅安静を医師から指示された。
元々絵を描いたりピアノを弾いたりするのが好きだったのだが、なんせお腹が大きくて何もできない。
横になっていなくてはいけないので、ひたすら孤独のグルメを観ていた。何回も何回も繰り返し観ていた。
産休に入り他者との交流もなくなったので、会話するのはほとんど夫だけだった。(お互いの実家はやや遠方)

出産予定日の1ヶ月半ほど前、管理入院をする事になった。
お腹の張りに自覚がなく、切迫早産になるかもしれないということだった。
個室に入院して、ベッド上の生活。
私はまた孤独のグルメを見漁った。
個室にして正解だった。電話もできるし、トイレも気を使わずに済んだ。

入院中は、リトドリンという張り止めのお薬を点滴していた。
これがきつかった。
動悸がすごいのだ。
横になって動画を見るくらいしかできない。
動画を見てご飯を食べて横になっていたら1日がすぎた。暇だった。そして、体重がものすごく増えた。病院食って多くない?

夫は大変だったと思う。当時の夫は仕事がかなり忙しく、休みは日曜祝日のみ(今もそうだが)。仕事は9時には始まって、21時ごろに終わる。
それから私の洗濯物をとりに来たり差し入れをくれたりしていたのだ。
お弁当を買ってきて、私の病室で食べてくれていた。
精神的にとても助かっていた。

それから2週間余りが過ぎ、ついに分娩の日を迎える。

私は興味から、経膣分娩をしたいと申し出た。
とはいえ、順調に育っている双子は40週まで行くと大きすぎて難産になるため、37週での分娩が決まった。(おそらく双子は早めに出すのが普通なのだと思う)
計画分娩前日は、帝王切開に切り替わる可能性もあるため、夜から絶飲食だった。張り止めの点滴も中止になり、久々に管がついておらず、開放感がすごかった。

分娩当日。
朝から処置が始まる。
ついこの前まで張り止めだった点滴は、陣痛促進剤に変わった。
そして、医師の手で、いわゆる子宮口ぐりぐりというやつをやった。
めちゃくちゃ痛かった。泣くかと思ったし、先生の手が入ってるのに、いってぇええーーと口走ってしまったくらいには痛かった。
それから、分娩専用の病室に移動し、陣痛を待つ。

これが、こなかった。
うんともすんともない。お腹は空いてるし、暇だし、ベッドの形は変だし(分娩用だからね)、とにかく暇だった。
半日そこで過ごした。

夕方の6時ごろだと思う。どうしてもトイレに行きたくなって、ナースコールで許可をもらい、トイレに行った。
トイレに座った瞬間、
 パン!
と音が鳴ったと同時に、じょわーっと股から水が出てきた。
なんだこれは??と思った。破水は知っていたが、自分の身に起こると、しかもトイレだと、さっきの音は自分から?これは尿??と確信が持てなかった。
とりあえず用を足し、病室に戻る。

すると、お腹が痛いのだ。
定期的に痛い。
なんだこれは…さっきのはもしや、破水というやつか…?

ナースコールをする。
どうしました?と聞かれるので、
さっきトイレでパン!って音がして、なんか水が出てきた気がするんですよね…お腹も痛いです。
と伝えた。
看護師は、えー?破水じゃないと思うけどねぇーと、紙のようなものを持ってきて、調べてくれた。

どうやらさっきのは破水だったらしい。

そこからは地獄だった。
とにかく痛い。痛みが増す。
夫に連絡した。

お腹には張りを測定する機械がつけられていて、モニターで張り具合を数値で確認できるのだが、恐ろしい事に気づいた。
痛くなるちょっと前、その数値がググッと大きくなるのだ。

あの数字が大きくなると、お腹が痛くなる!!

もう、正気ではいられない痛さだった。
助産師さんがテニスボールで尾骶骨あたりをぐりぐりしてくれると、少し和らぐ。が、どうにかなるものではなかった。
夫が到着し、その助産師さんの役を代わってくれたのだが、そこじゃない!というところを押してくるので、こちらも必死、思わず
そこじゃない!!!助産師さんに代わって!!!無理!!!!!!!
と叫んでいた。

結局陣痛を経験したのは2〜3時間だったと思う。

子宮口が開ききらず、帝王切開となった。
剃毛をしてもらい、手術室まで運ばれる。
その間も死ぬほど痛い陣痛が襲ってくる。

手術台に移動するのも自分の力でいかなければならない。
マジでつらかった。

手術台に乗った後、脊椎麻酔をしてもらった。
さっきまで騒いでいたのは一体何だったんだわ?というくらい、痛みがなくなった。
麻酔様万歳。

そして、手術である。
開腹手術は初めてだった。ドラマかと思った。

術野を照らす電気の傘で、自分の内臓が見えてしまうのではとヒヤヒヤした。
怖いなあと思っていたら、気づいたのか看護師さんが手を握ってくれて、大丈夫ですよ、と声をかけてくれた。すごく安心した。

そして日付が変わる頃、双子はこの世に出てきた。
猿のようなほやほやした小さい生き物が、私の前に運ばれてきた、本当に入ってたんだ、という気持ちになった。
一生懸命に泣いている。
生まれてきたんだ、小さいなぁ。

すぐにその子たちは新生児科に運ばれていった。

私は縫合してもらうので、手術台に寝そべっていたのだが、やけに寒い。めちゃくちゃ寒かった。
看護師さんに訴えて、温めてもらった。

無事手術がおわり、病室に移動すると、夫が待ってくれていた。
仕事もあったし眠かったんじゃないかなと思う。
夫は子供たちに会えたらしい。

術後は絶対安静で、仰臥位で過ごした。喉がカラカラだったが飲食できないので、うがいをさせてもらった。
産後ハイで寝られなかった。



後から聞くと、出血はギリギリ多量出血になるほどだった。
やたら寒かったのはそのせいなのかな、と思う。
とはいえ、母子共に無事で出産できて、ホッとした。
子供は2人とも3000グラムほど。
37週での出産だったのに…
40週までいたらすごく大きかったのでは?と思っている。


このあと、双子育児で私は病むのだが、それはまた別に記録しようと思う。

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