いきなりヤバめな自己紹介的なもの②

さてさて。前回の続きです。

ついにカルト村へ出発する私。
出発した日の事はあんまり記憶にございませんが…

当時カルト村は全盛期。

子どもの人数が増えすぎたのか、元々北海道の村で暮らしていた私と同じ学年の子6人と、

私の他に北海道から本州の村へ行く一般の子2人と(親が村人ではない子ども事を「一般の子」と呼んでいました)、

誰かしらの親と一緒に飛行機に乗って行ったと思います。
自分の親ではなかった気がする。

空港からはバスを乗り継いでカルト村へ行きます。


私が行った年は、全国から『一般の子』がたくさんカルト村へ来ていて、
中でも同じ学年の子がいちばん多かったです。

カルト村初夜は、訳もわからず悔しくて悲しくて涙で枕を濡らしましたが、

寂しさで泣いたのはその1度きり。

泣いても家に帰れるわけじゃないし、
この場所に適応しようと必死でした。

最初、同じ学年のボスみたいな女の子が

「うざい」「きもい」「ブス」「しね」

などと、お決まりの文句を言って
私をいじめの対象にしようとしてきましたが、

#物静かで大人しくみられるタイプ  


元来気の強い私です。

小学校の休み時間にそれをやられたので

その子の机を

ガンッ

と蹴り倒し、

「うぜぇのはお前。調子に乗んな。鏡を見ろ。その言葉全部お前に返すわ。」

と言って、静かに自分の席に戻りました。

二度と何も言ってこなくなりました。笑


#りっちゃん怖い
#なんて口の悪い4年生
#ごめんて
#でも内心ドキドキしてました
#誰が敵で誰が味方か見極めてる最中だったんです

あ、そうそう。
日々の生活をするのはカルト村内ですが、
小学校は地元の公立小学校へ通います。


ほとんどがカルト村っ子の小学校でしたが、
数人、地元の子も混じって授業を受けていました。
#もちろん先生も普通の人

小学校では地元の子がアニメの話や漫画の話、今流行りの物の話をしているのを聞くのがとても楽しかったです。
  

元々「一般の子」である私は、
いきなりテレビも見れず、自由に買い物にも行けず、お菓子も食べられない外界から閉ざされた環境に行ったわけですが、

その事にはあまり不満はなく、案外普通に適応していました。


子どもにはテレビもお菓子もおもちゃも
ないならないなりに、楽しみを見つける力があるんですね〜。笑

ど田舎にある村なので、
遊びといえば大自然と戯れることくらい。

高い木に登ってボーッとしたり、
果樹園に行ってりんごやみかんやブルーベリーなんかを勝手に食べたり、
#見つかったら殺されるやつ

豚舎の横に生えている「ユスラウメ」をお腹いっぱいになるまで食べたり、
道端にある枇杷の木からこっそりびわを拝借したり、
#これも殺されるやつ

その辺のつくしを摘んできて炒めて食べたり、
「のびる」というらっきょうのような植物を田んぼの横から抜いてきて酢漬けにして食べたり。

カルト村の先輩は、どれが食べられて、どれが食べられない雑草か、熟知しておりました。
食べられる雑草はひと通りテイスティングしました。笑


お気づきでしょうか…
カルト村の子はいつもお腹が空いています。
特にお昼前は腹ペコです。

カルト村では子どもも大人も朝ごはんを食べないのです!!
朝食が出ないのです!!!!ぴえん!


小学校に行く日の午前中は、授業どころではありません。登校したらまず今日の給食は何か、のチェックから始まります。笑

給食が待ち遠しくて仕方ありませんでした。

3時間目くらいに調理室から食べ物の匂いが漂ってくると、
カルト村の子たちはみんな、食べ物のことしか考えられなくなります。笑

グーグーお腹の大合唱。

次回はカルト村での平均的な1日の暮らし方を書いてみようと思います。

思い出せるかなぁ。

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